2012年11月5日月曜日

死にたい

死にたい
というのが彼女の声に出さない口癖

死んでしまった方が楽だろうか

確信が持てないのは
死んだことがないから

死ぬと
体から魂が離れて
楽になるというが

眩しい光やお花畑のいい香り
懐かしい人や風景に出会える
生活のためにいやな仕事をする必要もなくなる

しかし
楽したいから死ぬのかというと
ちょっとちがう
そんなに楽をしたいわけではない

世間の建前では
人の命は大事なものだ
尊厳や夢よりも上位だ
何千何万人の不都合よりも
うず高く積まれた札束よりもだ

生きている価値のない人間でさえ
価値ある人間と同じく
殺すことはできない
死ぬ価値がある人さえ
殺すことはできないのだ

老人になって
世間が賞賛する仕事を初めてしてしまうことがある
それが棚ぼたや偶然でも
そういうことがあると
本人も自信をもち
生きていてよかったと満足する

楽したい
死にたいと
ずっと思っていたとしても
それはご破算となり
生きることの快楽に執着する

さて
白鳥と鶴は別の鳥だっただろうか
鶴のことを白鳥の一つと
勘違いしていた男は
自分と他人の区別もできずに
考えている

彼女はさっきから朝焼けの天空の下で
茫然としている

生きている価値がある人と
死ぬ価値がある人を混同しているのは
誰だい?

1 件のコメント:

  1. 中村ゆき子2012年11月7日 0:12

    死にたいとというのは、本当に死んでしまいたいというのではなく、しんどい、辛い、の最上級のときも口走ってしまいます。死にたいと思うほど真剣に考え抜いて、悩んで人生と向き合ってでてしまった言葉なんだろうね。生きる価値があると思っていても、あした価値がなくなるかもしれない、そもそも価値があるから生きているわけでもない。だれしも死にたいと思ったことはあるだろうけど、未練があるから死ぬ事が出来ないでいる。こんなことを考えているといつまでも堂々巡りです。答えは貴方自身なんです。人生は誰にも代わって貰えない。覚悟を決めて腹をくくらないと。。。難しいなあ

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