死にたい
というのが彼女の声に出さない口癖
死んでしまった方が楽だろうか
確信が持てないのは
死んだことがないから
死ぬと
体から魂が離れて
楽になるというが
眩しい光やお花畑のいい香り
懐かしい人や風景に出会える
生活のためにいやな仕事をする必要もなくなる
しかし
楽したいから死ぬのかというと
ちょっとちがう
そんなに楽をしたいわけではない
世間の建前では
人の命は大事なものだ
尊厳や夢よりも上位だ
何千何万人の不都合よりも
うず高く積まれた札束よりもだ
生きている価値のない人間でさえ
価値ある人間と同じく
殺すことはできない
死ぬ価値がある人さえ
殺すことはできないのだ
老人になって
世間が賞賛する仕事を初めてしてしまうことがある
それが棚ぼたや偶然でも
そういうことがあると
本人も自信をもち
生きていてよかったと満足する
楽したい
死にたいと
ずっと思っていたとしても
それはご破算となり
生きることの快楽に執着する
さて
白鳥と鶴は別の鳥だっただろうか
鶴のことを白鳥の一つと
勘違いしていた男は
自分と他人の区別もできずに
考えている
彼女はさっきから朝焼けの天空の下で
茫然としている
生きている価値がある人と
死ぬ価値がある人を混同しているのは
誰だい?
死にたいとというのは、本当に死んでしまいたいというのではなく、しんどい、辛い、の最上級のときも口走ってしまいます。死にたいと思うほど真剣に考え抜いて、悩んで人生と向き合ってでてしまった言葉なんだろうね。生きる価値があると思っていても、あした価値がなくなるかもしれない、そもそも価値があるから生きているわけでもない。だれしも死にたいと思ったことはあるだろうけど、未練があるから死ぬ事が出来ないでいる。こんなことを考えているといつまでも堂々巡りです。答えは貴方自身なんです。人生は誰にも代わって貰えない。覚悟を決めて腹をくくらないと。。。難しいなあ
返信削除