2012年5月31日木曜日

林間学校の美術館

そこに美しいものがあったけど
君がいたから
美しいものは確かに僕たちをとりまいていたけど
君がいたから
僕は君にばかり気を取られていた
美しいものはずっと前から
そこにあったけど
君は今しか僕の目の前のそこにいないので
僕も今しか君に近づけない気がしたので
美しいものは単なる背景として
君と僕との舞台になってもらって
僕たちはそこから立ち去ることにした
景色は蝶になって頭上を旋回した
風が魔法の粉をそのシーンに振り掛けた

2012年5月30日水曜日

故郷の星の道へ

ペンの先からインクが出て
紙に文字が現れる
その文字は
昨日の夜空の星座からやってきたのだ

星座は
いま
欧州辺りの上空にあり
地上に光を落としなから
震えているだろう

だか現れた文字は
ブラックホールと似ていて
私は安心していることができない

その黒い穴に
吸い込まれたら
どうなってしまうのだろうか
(反対側に抜ける通路はあるのだろうか)

インクケースは
無数の宇宙を濃縮してその重さに耐えている
私は自転車の籠に
バッグを放り入れて
故郷の道へと漕ぎ進む
故郷の星の道へと

2012年5月29日火曜日

もうすぐ殻を

それは夢なのね
古びた夢なのね

新しい夢と
交換しないのね

新しい夢が
見つからないのね

古びた人になったのね
もうすぐ殻を
捨てるのね

2012年5月28日月曜日

自ら光らない私

夕暮れの街に
灯りが  ポツリポツリ
グレーの斑模様の空は
自ら光る 地球の被せ物

海中の海月(くらげ)
川べり 草叢の蛍
大地を渡り歩く稲妻

自ら光らない
あの月と同類項の私に
どうか光る力を与えてください

2012年5月27日日曜日

ふたたびあなたと、みたび太陽と

あなたは太陽の言葉を受け取って
その言葉通りに振舞っている
私は明るく生命力に溢れたあなたに釘付けになり恋をしている
あなたの後ろにはいつも太陽が輝き
あなたが吸収した水分を蒸発させ肌を露出している
あなたは昼間中
笑いながら話をして相手の手を握って話題の渦中へと引きずりこむ

夜になると
あなたは月が反射した太陽の言葉を読もうとするが
鏡像になっているので頻繁に読み違えてしまう
その言葉はたまに呪文のように意味不明だが何かのパワーを宿している
私はあなたに再び魅了され不眠のまま
気だるい朝を迎えることを繰り返し
それはあなたを仲介した太陽への返事のように思われてくる

2012年5月26日土曜日

古びた絵

新しい街の新しい部屋に
飾られた一枚の絵は
何度めの引っ越しだったのだろう
その絵は箱の中に押し込められたまま
一度も飾られずに
次の部屋へと引っ越したこともあった

描かれた時から
10年が経ち
光も
少しくすんだ

新しい部屋に飾られた一枚の絵は
この街の光を浴びて
輝きを取り戻すだろうか
あの日のあなたに尋ねたら
なんと答えるだろう

新しい街の新しい部屋に
古びた絵を壁に飾って
出かけていく
置き去りにした絵が
見送ってくれただろう

2012年5月25日金曜日

君と呼べる人は

僕は君が可哀想だと
思った事は無かった
君は自信過剰で行動派
何時だって元気で明るい
何でも思い立つと直ぐやる

だけど最近悩んだ顔をする

僕は君が苦しんでいても
大丈夫だと安心している
苦境をバネに頑張る
新しい世界を夢見てる
前向きに考えてくじけない

だけど最近笑わない

僕は君が何時までも
その場所に居ると思い込んでいた
いままでと同じように
太陽の光のように自然に
僕が声を掛ければ返事をする
いつも同じ繰り返し

だけど君はもう居ない

君と呼べる人は
もう居なくなった

2012年5月24日木曜日

山月記

最近仲良くなった奴が
窓をノックしてガタガタ鳴らす
夜昼構わず
大きな音をたてて

付近に住んでいるカラスたちも
驚いている
うるさいのは自分たちの専売特許だったから

そいつは自ら突風になり
髪を振り乱し
思いついたように
窓を鳴らす
気まぐれな連中もかなわないだろう

奴が窓を鳴らす時
階下で女が泣いている
窓枠に昆布や海藻が絡まって
月が見えないというのだ

女は自分が泣いていることを
周囲に悟られたくないので
奴がガタガタやっている時に重ねて
大きな泣き声をあげるのだ
その喚く様子は地獄絵図だ

奴は黙認しているのか
私は誰の味方もしないが
仲良くなったよしみで
奴を許している

奴はいつまで窓をガタガタやっているのだろう
私は嫌になると
ドアから外に出て
商店街をほっつき歩いた

すれ違うひとの顔を確かめながら
私の未来の妻はいないかと

2012年5月23日水曜日

よろこびをきいて!

からだのなかに
よろこびがはいりきらない
あふれそうになったから
かけだして
とびはねた
だれかにつたえたいけど
しってるひとがそばにいないから
なおさら
わいてくるよろこびがふえるばかりで
いきおいだけで
かけだして
とびはねて
さけんだ

ひとからみたら
へんなひとだ
でも
じぶんでは
どうしようもない
だってこんなに
うれしいから
いままででいちばん
きぶんがいいから

よろこんでいる
りゆうだって
ひとからみたら
つまらないことかもしれない

ああ
そんなひとはかわいそうだ

このきもちを
みらいのじぶんに
わけてあげたいよ
こんなにさいこうのことが
むかしおこったんだって
しらせてあげたい
きっとこれからも
なんかいも おこるとおもうよと
おしえてあげたい

おせっかいかな
ねぇ
みらいのじぶんさん
どうおもう?

2012年5月22日火曜日

すばらしいすみか

わるいひとが
もえている
くらいむらさきいろの
ほのおにつつまれて
たまに
しゅわしゅわ
ぱちぱち  と
おとをたてている

わるいひとは
もう
こえをだして
うまいことをいうことができない
なにもいうことができないから
だまって
もえて
はいになっていっている

わるいひとのほのおのまわりには
だれもあつまらない
きゃんぷふぁいやーや
かじかんだてをあたためるたきびとは
ちがうから

もえているわるいひとのひを
けそうとするひとはいない
わるいひとは
どくをふくんでいるので
ねつでやきつかされなくてはならない

このよには
もえないわるいひとも
かずおおくいる
わるいひとたちが
すくらむをくんで
わるいひとのしろを
まもり
みはりをしているから
だから
わるいひとは
もえるすんぜんに
なかまに
けしとめられることがよくおこる

ところが
さいきん
わるいひとのしろのしゅうへんのきおんがあがり
かんそうしてきて
いよいよ
いっきに
しぜんはっかするのではないか
ということがささやかれじめた

もし
わるいひとのしろが
しぜんはっかして
わるいひとがいっきにもえたら
みんなは
どうしたらいいのだろう

わたしは
しんぱいいらないとおもっている
あなたはどうですか
いっしょにはなしあって
いいすみかをつくりましょう
きれいなほのおが
ほしをこがすほどもえたつ
すばらしいばしょを

2012年5月21日月曜日

虫の鳴き声が止んで
鳥のさえずりが聞こえてきたら
ここは
もうすぐ朝になる
微かに塩辛い朝の風が吹いて来るのを
誰かがおくれ毛で感じるよ

どこにいても
人はいつかあった朝の記憶を
再生することができるから

澄んだ空気の森や
木の枝や空を映す麗しい水面がなくても
まぶたを閉じれば
都会の喧騒からだって
瞬間移動できる

あなたは朝なのに
夜のような暗がりに心を置いてきている

もしそのことに気がついたら
あしたは
心を持って
朝にやっておいで

この詩がその道になる
あなたの知らない一人の詩人が
あなたを愛している

2012年5月20日日曜日

詩があなたを

詩の始まりは東にあり
終わりは西にある
行は
北から南に伸びている

人は南の果てに行き着くと最北へ飛び
次の行へと暗黙のうちに導かれている

いまあなたがどこにいて
どこに向けて旅を始めるかは
あなたの自由だ

詩があなたを追いかけて
出会おうとしているかもしれない

2012年5月19日土曜日

椅子が知っている

その頃
椅子はただ椅子だった

小学校の椅子
駅のホームの椅子
野球場の椅子
自分の部屋の椅子
家のソファー
教会の長椅子
公園のベンチ
マクドナルドの椅子
縁側のロッキングチェア

どの椅子もただ
私の前で
椅子であるだけだった

私は
座り心地などは気に留めずに
ただ無心に椅子に座っていた

いま
思い出すと
いろんな座り心地があった
大人になってから
座り心地を気にするようになって
おのずと自分の心地のいい居場所に向かった

ものの価値やディティールが分かるようになったのだろうか
いや
ものの価値やディティールが分からなくなったのだ

心地のいいクッションに邪魔されて
木の硬さも自分の罪深い重さも

2012年5月18日金曜日

片付けられないものがある

どうして終わりにしたのか思い出せない
夢のお城
夢の街
いつまでも作って
いたかった
眺めて手にして
作って
住んで
いたかった

家族がもうやめなさいと言った
ご飯だから
箱にしまいなさい と

だが
私はしまわなかった
そのとき
終わりにしたのか
思い出せない
誰かが片付けてしまったのだろうか

いま
作ったものは
どこにあるのだろう
引越し荷物のダンボールを片付けながら
私は
片付けられないものがあることを
知っている

2012年5月17日木曜日

お弁当は好きですか

中学生のころ
学校ではお弁当を持って来ることになっていた

食べたくなかったので
持たされたお弁当は
毎日
あまり箸をつけずに持ち帰った
まずいわけではなく
その味は
いつで当たり前に
そばにあったから

食べなかったのは
気になることがあったから

家に帰ると
私は自分の部屋にこもって
考えごとのつづきをした
何を考えていたのか
言葉にすることはできない
そして
いつの間にか夜になる

お腹が空いた私は
何食わぬ顔をして
居間に行き
ご飯を食べた
いつもの味のご飯を

食べなかったお弁当の分も
たぶん食べた
成長するために
食べた

今は
何のために
お弁当を買って来て
食べているのか
分からない

2012年5月16日水曜日

引っ越し

深くしぶとく根を張ってしまわないうちに
自分で引っこ抜け
自分を

大地の
囚われの身になるにはまだ早い
風を捕まえてどこへでも飛んで行け
戻りたくなったら
戻ればいいのだから

昨日の荷物を解く前に
きょうも引っ越して行け

2012年5月15日火曜日

〈タイトルなんかない〉

錆びた缶からだけど
カランコロンと
いい音を出すね

あなたはコロンを素肌に叩いて
いい音を出した

私は
錆びついた感覚器官を
どうしたらいいかな

油をさして
ジタバタ転げ回ったら
丘の上の夕日の沈む海が見られるかな

2012年5月14日月曜日

兎と

兎を追いかける
兎を捕まえるために

兎を捕まえると
私に新たな課題がうまれる
兎をどうするかという
進行形の課題だ

兎を撫でる
兎を撫でると
兎が落ち着きなく体をよじる
私は兎と一体になって
自然に動きたいと思う

兎は普段見せない様子を見せる
私は驚きながら
もっと他のことが起こらないか期待する
兎は兎の匂いを発する
私は兎の匂いに包まれながら
先に進むか後退りするかを考える

兎は元気に細かく動く
私はうでに力を込めて
兎の体制を変えようとする
兎はなにか別のことを考えている
私は兎の思考の中で泳ぎまわる

兎は疲れを知らない
私はさらに泳ぎ続ける
兎の満足はいつまでもきりなく満たされない
私は兎に殺されてしまうのか

兎は無垢な様子で白い毛に包まれている
私もまた
白い毛に包まれてしまう

それのため
兎をもっと外から見ることが出来ない
溺死寸前のまま
私はゆるやかに流れていく
いつの間にか自然に出来た
沼の水面を

2012年5月13日日曜日

詩の効用についてのメモ

詩人は一編の詩を用いて
世間に負けそうな一人の子どもを
救おうとしている

故に詩は
絶望をうたわない
絶望に差し込む一筋の光をうたっても

詩は
一人の子どもの傍に佇む
佇んで
いつも見守っている
その子が心ないいたずらや身内の凶器で傷つけられたとき
さりげなく視界の中に現れて目配せをする
そして言葉のバリアで覆って傷を癒してしまう

詩は
当たり前のように存在しているが
その本当の姿を
人は説明できない
詩に出会った者だけが
詩の姿を知り
詩を書く者だけが
それを詩によって伝えることができる

だから
詩の効用は辞書には載っていないし
薬局でも処方していない

2012年5月12日土曜日

プールの日

水面がそこら中で光を乱反射するので
僕たちの顔は皆まだらになっている
塩素が加えられた冷たい水に漬けられて
熱い躰も柔らかい皮膚も抵抗していたが
水着が先に降参して防御することをやめて
体を明け渡したので
僕たちは裸同然で感染しあっていた
それを誤魔化すために奇声をあげたりしながら

更衣室は男女別々だったはずだ
ここでは一緒の水に入って
交わらない誓いを牽制した
ひとときを至近距離で
時には接触して過ごした
それは刹那のように
幻となって放課後の机の上で
干からびようとしていた

女子と男子はあやふやに分離して
個別に交じり合うことを促した
古典の教科書の影で
指で空気を切り指揮をして
空気さえ味方につけて

2012年5月11日金曜日

怖い靴下

洗濯したての
破れた靴下が怖い
履いたら
捨てるのか と
詰め寄ってきたから

破れたところから
足の甲が覗き
かさついているのが見える

脱いで
手に嵌めてみたら
見慣れた素材と色だが
穴から手をだそうとすると
伸びながら裂けていった

大地の切れ目から
血が噴射して
叫び声を上げた

ゴムが喉元を締め付ける

洗濯したてのいい香りのまま
死んでもらおう
また生まれ変わってくるのか
どんな命として?
誰のもとに?

2012年5月10日木曜日

空の記憶 メモ

人の中に生き物は何種類いますか
植物の種もありますか
魚や鳥はどうしていますか
獣 爬虫類 両生類もいますか

地球の中に生き物は何種類いますか
地球と生き物の血球はどちらが丈夫ですか

地球上に立てられた
動く塔
自動車 飛行機
死んで動かなくなった生き物が
燃やされてエンジンを動かす
植物が作った有機物が
ダイヤモンドとなって
人の膚の上で光る

人の子孫は墓の上に立つ
上空を鳥が飛び
胸の中で血潮が渦巻く
赤色から青色へ天空の星が流れ
誰が見下ろしているのか
仰ぎ見ているのか分からなくなる

2012年5月9日水曜日

連休しない人

かれは毎日働いているので
休日がない
だから
テレビのキャスターが「連休の最終日です」
などと言うと そのたびに いちいち
「だれが連休やねん」と
関西人でもないのに関西弁風に心のなかでつぶやき
いちいち`ぶったまげる'

そしていつも次に`連休'に働いている人 のことを思う
沢山の人が`連休'に働いているのに
どのマスコミも「連休の最終日です」を連呼し
彼らの働きを認めない
彼らはなんとも思わないのだろうか
彼らの存在は無視されて当然なのか
もう慣らされてしまってなんとも感じないのか

かれは
`連休'に働きながら
世間の不器用さを嘆かわしく思う
建前を守り続けて守ろうとしているものは何か
誰か知っている人がいるはずだ

きっとその人は
連休の最終日に
連休を始めさせようとしている


2012年5月8日火曜日

風が言っていました

風の身長を知っていますか

風の姿は見えないから
知らないと
お喋りすることはできません

風だって
ちゃんと目を見て話さないと
怒って吹き荒らし
言葉は風に舞うばかりだから

目の辺りを見つめて
ゆっくりと
わかりやすく話さなくてはなりません

もし
風とおしゃべりすることが出来れば
人はもっと幸せに近づくことができるでしょう


風が言っていました





2012年5月7日月曜日

自分の場所で

イチョウの木
立っている

自分の場所で
緑の葉をいっぱいに茂らせて

イチョウの木の横
通り過ぎて駅に向かう
行き交う人をよけながら

毎日
たくさんの人やモノを
よけている
けれど
自分がいる場所には
自分だけがいる

イチョウの木は
黙ったまま
葉をゆすり
いま笑ったのか
私を見下ろして

いや
笑ったのは自分の方

2012年5月6日日曜日

詩人リモコン

詩人くんをリモコンで飛ばすのはおもしろいですか。
飛ばすときは飛行機に乗せるのですね。
彼はどこにでも行かせられるのですね。
二足歩行もうまいし、喋りも達者ですね。
五感が備わっているばかりか、第六感も使えるのですか。
詩人くんは上りより下りのデータが太くなっているのですね。
A.I.も詩人レベルまで行っているのですか。
彼の取材能力はすごいものですね。
リモコンと関係なく動いているみたいです。

あなたは部屋に居ながらにして詩人くんを操作して
世間を渡り歩かせ、世界を見て、詩人をやっているのですね。
いいことを考えましたね。
いつからですか?
えっ、自然にそうなったって?
詩は、どちらが書いているのですか。たまには合作したりして……
詩人くんは文句を言いませんか。
あっ、別荘で休ませるのですか。ねぎらいの会を開いて。
そして、たまに入れ替わってみるのですね。

2012年5月5日土曜日

美しいものは

美しいものばかりを
見せてくれるあなた

美しいものばかりだと
落ち着かない私

美しくないものの中に
美しいものが見つけられるか

美しさにそっぽを向かれながら
美しくないものを見る
なんと美しいのだろう

2012年5月4日金曜日

なんどでも

饒舌に語れ
話したいことなどなくても
話すことがあなたの存在に価値を与え
私を納得させ
何かを冷やす

語るに落ちよ
繰り返す日々に句読点を打て
物語の結末だけ述べよ
あらゆる話にオチをつけよ
人にはレッテルを貼れ

動きを停めたものたちが
エネルギーを蓄え
正解者の頭上で弾けるのを待っている
だからクイズにして問え
答えのある森羅万象を
血へどを吐きながら
なんどでも

2012年5月3日木曜日

やくたたずの かれ

かれはなにももっていない
やくにたつものは
みんなひとにあげてしまった

やくにたたないものばかりをもっているかれは
やくたたずとよばれた

かれもまたじぶんをやくたたずとなのった
かれにみかたはいなかった
かれはやくたたずなうえに
あいきょうがなかったから
やさしさもおくびょうをかくすためだけにあったから

かれにはかみさまもいなかった
かみさまにしたねがいごとは
いつもたいていかなわなかったから

だがかれはぜつぼうということばをしらなかった
とおいむかししっていたようなきもするが
いまはまいにちがぜつぼうばかりだったから
そこがきじゅんでそれいじょうわるくならなかったから

かわりばえしないまいにちは
みかたによっては
しあわせにかんじられた

これがやくたたずのかれの
いまのじょうたいであるが
かれにあいたくなったら
かれのぶろぐをけんさくしてみるといい
そこにはかれのぷろふぃーるとともに
やくにたたない詩が
まいにちのせられているだろうから

2012年5月2日水曜日

意志の人

僕というのは愛称です。名前ではありません。
僕が精神病になると喜ぶ人がいるので、僕は精神病になりません。
僕が不幸になるといい気分になってお祝いをする人がいるので、僕は不幸にはなりません。
僕が再起不能になるとほっとして枕を高くして眠る悪党がいるので、僕は再起不能になりません。


僕は深夜に部屋で考えています。思っています。
僕はなぜすべきことをしないのかと。
しなくていいことばかりをして、すぐにすべきことをなぜ先送りにするのかと。
僕はしなくていいことをすぐに止め、「すべきこと」に取り掛からなくてはならないだろう。
だが僕が「すべきこと」を始めたとき、僕の主人は「すべきこと」になり、体はすべて乗っ取られるだろう。
その時いままでの僕はどこに行ってしまうのだろう。
それが怖いからなのか、それとも別に理由があるのか、その答えを僕はまだ知らない。求めるすべも分かっていない。


僕は際限なく食べ物を食べる。一日に何度も、深夜でも朝でも。
時間帯と回数は関係なく。食べたいものがあってもなくても。
食べることでお腹を満たし、自分の体が自分の重しになって動けなくなるまで食べ続ける。
そして動けなくなったところで、それを無理やり動かして行動をはじめる。
すると意志の力が感情を上回り、僕は意志の人となっていく。
意志の人となった僕はドアを開けて外に出ていく。風を切って歩く。


意志の人は帰宅するとき、その意志はなくなっている。
僕は意志の人ではなく、ただの愛称であるただの僕となっている。
手には買ってきた食べ物が入った袋を持っている。
袋の中にはよそよそしい商品が生々しい食べ物に変化して入っている。
この食べ物はもうすぐ僕のなかに蓄積され重しに変化する。
重しは僕が意志の人になるために必要だが、意志の人になる効用はまだわかっていない。

2012年5月1日火曜日

おまけとして言うと

きのう昼ドトールで200円のアイスコーヒーを飲んだ。夕方、560円のアイスコーヒーを飲んだ。そのあと、夜、120円のアイスコーヒーをコンビニのイートインのコーナーで飲んだ。きょうは、いま、340円のアイスコーヒーをのんでいる。190円のアイスコーヒーはサンマルクカフェ、200円のアイスコーヒーはドトールで飲むことができる。Macなら120円。一時期はチケットショップに25円から50円でMacのコーヒーチケットがあった。先週の関西出張では、ベローチェ、スターバックス、丸福、マエダ、上島、その他(名前は忘れたが)のカフェで、アイスコーヒーを飲んだ。日本の色々な地域、世界の都市(北京、ニューヨーク、ロンドン、ベネチア、ミュンヘン、トロムソ、パリ、オスロ、ボローニャ、フィレンツェ、バンクーバー、バンコク、台北、大連、グアム、サイパン、ハワイ、スロバキア、モスクワ、ミラノ)で、アイスコーヒーを飲んだ。アイスコーヒーと砂糖とミルク、ストローは仲良しだ。おまけとして言うと、アイスコーヒーは私とも仲良しだ。