みちるです。

みちるです。よろしくおねがいいたします。
マツザキヨシユキさんからこの場を引き継ぎました。
2010年から書かれた毎日の詩は、引き続き見ることができます。

みちるとしては、この場を、詩が流れる天の川のようにイメージして、詩を書いていきたいと思います。
一つ一つの詩の力は小さいし、読まれなければ意味がないかもしれませんが。でも、天の川自体には意味がありませんよね。でも、美しい。そして一つ一つの星に思いを重ねることができる。そんな感じが素敵! だとおもって。
                              2014年2月7日



今から3年5か月前の、2010年8月30日、
この場で
日記のように詩を書きはじめました。
詩を書いて、こうして人前に出すのは2007年にやめて以来、初めてのことでした。

最初はほぼ自分のために書いていましたが、途中から

読んでくれている人のために書こうと意識しました。
しかし、なかなか、人のために書くというようにはなりませんでした。

途中、2011年9月1日から12月31日まで、人生をリセットし、学生時代からやりなおそうと北京に留学し、片言の中国語を話し大学生たちと暮らしながら、詩を書きました。このときは、東京でのいろんな経験や思いを断ち切るために書きました。


2012年、東京に戻り新しい生活を始めるために、中野区から杉並区に引っ越し、仕事も一から始めることにしました。(・・が、なかなかうまくゆかず、2013年2月に、やっとポエムピース株式会社という会社を立ち上げるにいたりました。)


2012年6月から13年秋にかけて、福島から送られてくる花の写真に、毎日詩を付けるという「日課」が加わりました。(これは1年数か月つづきました。)その結果は「ここは花の島」という本として出版され、合唱曲や歌も生まれました。


しかし私が共に生きてきた「マツザキヨシユキ」という名前は、くたびれて、病んでしまいました。このままいけば、一緒に活動する人にも迷惑でしょう。悩みに悩んだ末、私はこの名前に隠居して療養してもらうことにしたのです。

いつまで休んでもらうか、それとももう二度と前線にはたたないことになるか、私にも分かりません。

このページはいつしか、楽しみに読んでくださる方も増えていましたから、ほんとうにお別れは惜しいのですが、この名前を休ませてやるという「わがまま」を、どうかお許しいただきたいのです。


その代わりと言ってはなんですが、新たな詩人「みちる」にバトンタッチしたいとおもいます。これからは、みちるの詩をお楽しみいただければ、うれしいのですが。もしよろしければ、ひきつづき、みちるをよろしくおねがいいたします。(みちるは私とも価値観が相通じる人間です)


それから、愛着あるこの「未来創作」ですが、マツザキヨシユキ隠居後には、引っ越し先が準備でき次第、引っ越す、というのがみちるのためでもあるとおもっています。どうぞよろしくおねがいします。では最後に・・・


「長いあいだ、読んでくださりありがとうございました。詩を味方につけて、幸せな人生を送っていただくことが、私の望みです。またいつかおあいしましょう!(マツザキヨシユキ)」



2014年2月2日



なまえ

ぼくはきょうからぼくでなくなる
だから
ぼくの おなまえさん
さらばだ さようなら!

おなまえさん
おもえばいつも
きみを やおもてにたててきた
いつからか
ぼくはきみのかげにかくれて
そのぶんへいおんに
すごしてきた

だがきみは
もんくひとついわず
ぼくをまもってくれたよね

きずついて あざだらけになり
ふくはやぶれて
くつも かたほうしかのこっていないのに

そこでぼくは けついして
きみをへやのなかにいれ やすませることにした
もういんきょしてもいい
というきもちだ

とはいっても
ネットはつながるし
メールやFaceTimeだってできるから
きみにふじゆうはないだろう

おなまえさん
どうかゆっくり ほねやすめして
ぼくをみまもっていてほしい

こんどは ぼくじしんが
やおもてにたって
じぶんじしんで
せいぎのために たたかうから

せいぎはかっこいいもんんじゃない って
だれかいってたな

かっこわるいのは
ぼくのもちあじだ

そして
ぼくはしぬとき
いちばんきれいな
ほしをおもおう
とほうもなくとおくにあるそのほしは
なまえもないが
うちゅうのどこかでかぼそくひかっている
だれかにみられているか なんてことは
もちろん きにせずに

いまぼくにはみえていない
その ほし

きみにも
みえないかもしれない
なまえのない ほし

2014/1/15



生きていくのって、辛い。辛いことがたくさんあります。「不条理」という言葉を思い出します。中学生のときに知った言葉。なんて便利な言葉だと思った。使い途がたくさんあって。それほど不条理なことがたくさんある世の中です。そのことは、昔も今も変わらず、ことさら自分の周りには、たくさんあると感じてしまうのも、わがままな性格ゆえでしょうか。

2012/12/07

「こんな詩を書いて毎日載せていていいのか」

「こんな詩を書いて毎日載せていていいのか」とよく疑問に思います。書いているときは、世間から離れて、年齢も境遇も忘れているような気がします。違う世界と行ったり来たりする感覚。でも、それは非・日常ではなく、私にとっては日常の事象です。
私がしたいことは、一生懸命生きていて、なかなかうまくいかなかったり絶望している人への貢献です。頑張っているのに不器用でうまくいかない人、そういう人に、親近感を覚え、愛おしく思えます。人生の課題に取り組み続ける人を、私は尊敬の眼差しで見ています。ときには、やさぐれたり、元気をなくしたりしながらも生きていく人。私も、そういう人を見習いたいと思うのです。
詩を書くことで「貢献」することなができるでしょうか。私は直感的に思います。それが直接かなわなくても、その延長上にきっと成果があがる何かがあるのだと。
みなさんはどう思われますか。私にできることはあるでしょうか。未熟な私は、もっと成長し、心の強さを持たなければなりませんね。それは分かっているのですが。

このブログ


2010年8月30日に「月見だんごの夢 」という詩でスタートしたこのブログ、きのうで丸2年が過ぎました。会社を潰して以来、抜け殻のように生きていた自分でしたので、かなり気負って、おっかなびっくり始めましたが、「毎日書く」という自分とした約束を守ることに必死でした。毎日夜10時を過ぎるとそわそわしている姿は、周りにどのように映ったでしょう。
毎日詩を書き始めると、詩はいつのまにか自分の中にあり、自分を包み、自分を救うものとなっていました。また、詩を作り、詩の仕事とすることが、自分を活かす道であると感じ始めました。自分にとってここに詩を書くことは、詩と親密になり、詩と友だちのように接し、詩を介して人と出会い、出会った人と詩を使って何かをしていくことにつながることでした。
2012年8月30日


http://yukitea.006.burogu.jp/000700103.html

私が生まれる前、家には『空海』と名付けられたネコがいたそうです。いつのまにかいなくなってしまったと言っていましたが、本当は、ある日、帰って来なかった。次の日以降もそのまま、帰って来なかった、ということでしょう。
この名前が、気になります。ずいぶん大それた名前です。そのネコを飼うなんて、なんて不遜なのでしょう。
私には、空海なんていう名前を付けることはできません。
私が生まれ、七年後に妹が生まれ、それから十数年がたったとき、妹がネコをもらってきました。名前はジェラーヌ・レネ。
日本語が通じない気位の高いネコでした。

---過去の日記より 2012年8月30日


去年の今頃は、やっと中国に留学するスケジュールが決まって、飛行機やビザや大学入学のために必要な書類を用意していた。8月30日、日本から逃げ出すように、北京についた時、何もかも分からない、右も左も分からない状況に、半ば放心して身を投じ、きょろきょろと周りを見回しながら流されてった。といっても、やることは山ほどある。といってもどうやったらいいのか分からない。半分あきらめながらも、多分必死に手足をじたばた動かして時間を過ごした。ずっと日本で安穏と暮らしていたところからドロップアウトしたのは初めてだった。


人のために何かやりたい。そう強く望んでいるのに、自分のことさえすることができない。背伸びしてでも、少し上のことに挑戦し続ければ、自分は高まるだろうと気づいていても、足元の、過去に難なく出来たことさえすることができない。これは相当やばい状況ではないか。
一日中堂々巡りの低調な思索がつづき、机の前でいつの間にか居眠りしている。安さで選んだ弁当をそれでもきちんと食べ、この身を生かしている。
2012年7月9日

『生きてる価値ない』という口癖は、しょっちゅう出てくる。何かを上手くやっていい気になった時、嬉しいことや楽しいことがあって油断したその直後、もちろん気分が落ち込んだ時にも・・・場所と時間をわきまえず、この愛想のない言葉が出てくる。思春期の頃からだからもうずいぶん長い付き合いになる。と、言いながらいま気付いたのだが、むしろ、思春期の頃に戻って、この言葉を吐いている。『生きてる価値ない』、いったいどういうことだろう。何かに甘えて言っているのか。自己否定の言葉なのか。そう言いながら、答えが求められないのは、その気がないからなのだろう。何かから、逃げているのだろう。いつまで逃げつづけるのだろう。自分を逃している人間に、人のための仕事はできるか。それとも、そうやって自分を生き延びさせているのだろうか。答えをはっきりさせないまま、人のために仕事がしたい。やりたいことがある。
2012年6月26日

2010年の8/31から日記のように書き始めてもうすぐ700編になります。途中4か月間、中国に留学し、その内のすこしだけ書けない時期(というかネットに繋げられない時期)がありましたが、毎日夜の12時までに書くことが日課となりました。わがままに、自分に寛容に書いていると、たまに精神のリハビリをしている気持ちになりました。書き始めた頃は、毎日首を吊る夢に悩まされました。詩は、基本的にはフィクションと思って書いていますが、半分以上は心の素直な履歴です。この比率、自然に減らして、人のために詩が書けるようになれたらなと思っています。お手本は谷川俊太郎さんですが、あんなに上手く書かないでいいというのが自分に似合っているのではないか、と考えています。なぜか?
それは詩を書く人の入り口の広さを、人身御供となって守りたいからです。この辺りのことは、改めてどこかに書きたいと思っています。ここに掲載した詩は、ほとんど推敲せずに、荒いまま、書いたと同時に(時には書き終わる前に)載せてしまっています。少しずつ振り返って、完成させていこうというのが当初の計画です。最近、孤独に書いていることが寂しくなってきたので、他のジャンルの誰かと一緒にコラボして作ったり、以前のように詩のワークショップなどを主宰して、そういう場で共に書いて行きたいと思っています。2012年6月8日
もしいま病院に行ったら、うつ病と診断されるかも知れません。詩を書いていても感じるのですが、まるで感性が働きません。人の詩を見ても理屈で読んでしまいます。絵なども、なんとなく美しいとは経験的に思うのですが、それがありふれたモチーフのバランスのいい絵である場合は、本当に美しいのかどうかがよく分からなくなり混乱してしまいます。気力や睡眠、摂食の状態もおかしいようです。しかし、いままでも、なんとか自力でやっつきたので、数日か数時間で嵐が去らないかと期待してまっています。しかし、今回は、自分の詩を読み返す限り、やや長いのではないかとおもえるのです。

2012.4.17

自分の詩の良さが全く分からない時があります。その時は悪さは分かるのです。他人の詩についても、良さが分からず悪さが分かります。
私の詩に対するスタンスは親バカみたいです。自分の詩、他人の詩に分け隔てなく、甘々です。



毎日おいしいものを食べて
ダイエットに苦労するより
食べ物のことはあまり考えずに
基本 粗食にして
新しいことを毎日一つ見つけて
たまには実際にやってみるというのはどう?

かっこいい風貌になっていくと思うよ
消費者に甘んじて
誰かに飼いならされるより
人まねでない好きなことをみつけて
やってみない?

おちゃらけて楽しむより
自然に楽しんだほうがいい

人と同じだと安心だけど
違う部分があった方がいい

豪華なセレブリティの生活なんかに
憧れる必要はない
生成りのシャツでいつでも走っていける方が自由だ

幸せを手に入れるときは
思い切って清水の舞台から飛び降りる気分で掴み取る
できない場合は
こっそりと掴み取る
命がけでね
そうしないと
幸せは掴み取れない
当たり前だけれど ね

2012.2.16



日本
216
アメリカ合衆国
16
ロシア
15
ラトビア
8
ドイツ
2
マレーシア
1
オランダ
1

今週のページビューです。ロシアが増えてきたのはなぜ?
ラトビアが初めて登場。マレーシア、いつもありがとう。
2011.11.25


ブログ更新、携帯メールの使用が、しばらくできないことがあります。

インターネット環境が、うまく整わないため、毎日更新してきたこのページですが、しばらく、不定期になります。中国からは、グーグルやその他ブログ、Twitter、フェィスブックにはつながりにくい状況です。
また、携帯メールも受信できないことがあります。Gmailから自動転送していますので、そちらにお送りください。返信には、少し時間をいただくこともあります。
状況が変わりましたら、また、この欄でお知らせします。
2011/9/25


こっそりこのブログをはじめて、もうすぐ1年。365+α篇の詩のようなものを書いたことになる。最初は、世の中とつながることが嬉しく、でもすぐにどう繋がるかを迷うことが日課のようになった。自分自身の存在価値を問い直しつつ、絶望や後悔、希望や未来のビジョンをこねくり回しながら、途中でTwitterとのリンクもし、自分の名前を出して活動することも始めた。これからどうなっていくのだろう。これは、自分による自分の人生の実況中継だ。
2011年8月27日


楽しく遊んでばかりいると、楽しいことが当たり前になってしまうのではないかな。普通のときが、つらくなり、苦しいときはもっと苦しくなるのではないかな。友だちや恋人とは、辛いことを共感できるのと、楽しいことが共感できるのと、どちらがいいのだろうか。あっ、どちらもですね。しかし、真面目な人は、自分に規制をかけて、不真面目に振る舞えず、勇気のない人は、なにかと勇気を出せず、貧乏な人は自然な感じでお金が使えず、それをほぼよしとして、生きているかのようですね。死んでもいいみたいな生き方に憧れる・・・振幅が自由自在な。
2011年7月13日


10,000超ありがとう!
誰にも言わずに始めたブログでしたが、10,000ベージビューを超え、なんだか一区切りついた気分です。ポエムジャーナリストを標榜しながら、なかなか取り組むことができず苦戦しています。しかし諦めずに必ず自分の方法論を確立し、表現していきたいと思います。もう一つのライフワークである『選評作家』についても、徐々に活動を始めています。詩を読んでほしい人から求めがあれば、どこへでも出掛けていって、講評をしています。すでに何度か地方にも出掛けていきました。(もしご希望の場合は、matsuzakiyoshiyuki@gmail.com までご連絡ください)。
2011年7月6日


「どんな人が読んでくれているんだろう」。日記のようにわがままに書いてきましたが、そんなことがすごく気になるようになってきました。先月、数年ぶりに御徒町凧さんの「朗読会」で詩を朗読しました。その時、とても緊張したのですが、それは、人生が転換するような、特別なことだったからだと思います。人前で朗読するということが、何かのきっかけになるようなストーリーが自分の中で進行していたということなのでしょう。
2011年6月9日



自己表現は半分。心がけてきたことですが、言い訳になってしまっていることもありました。人に価値をあたえるのと、自分のために書くことは、自分次第なので、いいように、甘えてしまったようです。反省しなければなりません。
2011/04/27

祝5000超
ひっそりとやって来ましたが、5000という伏目を超え、とてもうれしいです。毎日休まずつづけられたのも、みてくださった方のおかげです。カウンターの数字や、自動集計される人気の投稿の順位が入れかわっていくのをたよりに、書くものを変えて来ました。しかし、震災に直面してからは、言論人としての使命感みたいなものがだんだんと強くなり、他にないアプローチで書けないか模索することとなり、震災の詩、として、約20遍を書き、タグをつけてまとめるにいたりました。
2011年4月22日


立ち入り禁止地区の行方不明者の捜索がはじまりました。「遺体の捜索できず」と報じていたメディアも「生存者と遺体の捜索」と変わりました。「救出劇」がまた報道されるのでしょうか。ニュースショーはおちゃらけた口調で、被災地のニュースを伝え始めています。NHKは、震度6強の地震が起きても、もう、慣れっこで、深夜はニュースを字幕で流すばかりです。東京では民法の日テレだけが朝まで報道特別番組を放送しました。その他はもう何もなかったように、美容グッズの販売に熱心です。これからどうなっていくのでしょう。2011年4月7日


人が崩壊した家屋や瓦礫の下に埋まっているのに、それを放っておいてはいけません。
放射能漏れの立ち入り禁止地区であっても、いますぐ立ち入り、救助すべきです。
防護服をまとい、交代で構わないので救助活動をすべきです。
それをしない理由はありません。
マスコミや市民はこのことをもっと問題にすべきです。
東京電力はさらに、人手を割いてでも、どんな手を使ってでも、立ち入り禁止地区の人を救助すべきではないですか。
政府の規制に「あきらめ」てしまうことは罪です。
2011/03/27


自分の詩をもっと多くの人に読んでほしいという気持ちが強くなってきました。日記のように書き続けるだけでなく、読みたい人に読んでもらう循環をつくりたいと。また同時に、以前していたように、詩をみんなで楽しみ、書いていくために集まる場所を作りたいと。そこで詩を鑑賞し、学び、励まし合っていきたいと。これは高校生の頃からやっていた僕のライフワークともいうべきものです。どうやって実現しようか、考える前に動き始めるのが、自分のの特長だった気がするのですが…
2011年3月10日

月日は百代の過客にして…という気取ったことは言えない。いつのまにか月日が過ぎて、書こうとしていた手紙の返事も書かぬまま、ひと月が過ぎ去っている。オイテケボリの連続。この連なりからいつになったら抜け出せるのだろう。何かの力で弾き出されるまでずっとこのままなのだろうか。

詩はよく現実逃避の手段に使われてしまいます。現実の諸問題の解決や、突きつけられた数字を前にして、戦うことをあきらめ、逃走してしまうのです。それが詩の特権だといわんばかりの勢いで。


初詣の列に並んでみることにしました。狛犬の横で、お札やお守りに混じってだるまやコケシも燃えていました。女子高生たちがなんとお祈りしようか、絵馬になんて書こうか大きな声で相談しています。やんちゃな中学生集団が、遠くから1円玉を投げる遊びを思いついて大騒ぎしています。一円玉は投げられるたびに誰かの頭に当たっています。背が低い人は人混みに埋れて前が見えません。静かに列に並び間を詰めながら前へ進んでいく集団。そのなかにいて、なんとなく安心な気持ちがしていました。小学生からやり直せそうな気分がして。進化を辿ってきた自分というこ母は生命の個体が、社会に生まれてからの自分を一瞬の唄にスキャンしてしまったのかも知れません。

もうすぐ2010年は過ぎていこうとしています。自分が2010年というステージを駆け抜けていくのではなく、2010年というステージが、自分の中を通りすぎようとしています。自分が止まっている存在だと感じたことはいままであまりありませんでした。真実は、自分も時もどちらも動いているということだと思いますが、最近の自分はどうも止まっているので、あらゆるものたちは、通りすぎて行くようです。ある意味今の自分はとても傲慢な姿勢といえます。2010/12/29

過去の自分と今の自分、どちらが好きだろう。こんな簡単な質問にもためらいが生じて答えられません。自信を持って「今の自分」と答えたいのですが。過去の自分のことがよくわかっていないということもあります。自分を見つめることを避けていたから。もちろん避けたくて避けていたわけではありませんが。未来の自分に自信が持てる未来を手に入れたいものです。あっ、自分を所有することは、正しいのでしょうか。正しいはずなのですが…

何をやってもうまくいきません。言い過ぎでしょうか。心情はこれが真実です。うまくいくことを切望していないのでしょう。小さく成功して納得してしまうことへの怖れもあります。これは過去に冒した大きな失敗と釣りあっています。小さな成功ではとりかえしがつかないということです。しかし、小さな成功はとても大切なことだとも分かっています。と、ここまできて葛藤という言葉が思い浮かびました。そうか、葛藤か。だから、なかなか抜け出せないのだ…。葛藤、これは手強い。独り言モードに入り、つづきます。

毎日新しい日がやってくることは素晴らしいことです。しかし次から次へと切られるカードに、自分はどう対応したらよいのでしょう。ちょっと待ってと声をかけることはできるのでしょうか。

克服しなければならない問題がなんと多いのでしょう。その多さに毎日起きるたびにまずため息を漏らし、それから自分に恨みごとをいい、そこから逃れるように這い出します。そしてやっとなにか一つのことを始めます。もっとポジティブにと自分を急き立ててみても、空回りが始まるばかりと解ってしまったのです。

猛暑続きのあとにこんな季節がやってくるなんて、解ってはいたけれど、現実感のないまま、寒さの中に突入していくようです。この何年か、季節は無感動に流れていくかのようでした。体のどこかで感じながらも、感覚を押し殺していたのです。季節を感じること、それはとても豊かで刺激的なことだと思っていたはずです。


秋から冬になろうとする季節。そう書いただけで、感傷的だった思春期の頃を思い出してしまいます。思春期を思い出すたび、また、思春期の渦中に入っていってしまう。これ、性格というものなのでしょうか。つまり、いつも感傷的。しかし感傷にもいいところがあります。普段と違って自分と世界が見えるところ。そう、こう〈世界〉なんて書いてしまうのも、感傷のなせる技です。

1 件のコメント:

  1. 中村ゆき子2014年2月5日 0:55

    雪の降った歩道のように
    足跡、ポツポツ残ってるね

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