2012年11月1日木曜日

生きる 雑念

生きていても
死んでしまっても
人に迷惑がかかるから
ただ慣性の法則に従うのだと
理屈をこねくり回して
毎日をやり過ごしているが
食欲を始めとしていろんな欲求が湧いてくるので
頭や体の働きもそれに任せて生き延びている

嬉しいことも
悲しいことも
楽しいことも
いらいらすることも
辛いことも
どうでもいいことも
毎日やってくる

知人や友人たちは
どうしているのだろう

長年仕事をしてきた人たちは
それなりに形になって
周囲に認められ 尊敬もされ
稼ぎや蓄積もあるだろう

あと1本糸が切れたら
自分は奈落の底へと落ちる
その一本にすがって
不安に揺れている

もし死んだら
生まれ変わるだろうか
それとも知らないうちに
誰かの人生を引き継いで
その命をやっていくのだろうか

神様に知らされることもなく
何の記録も遺らない状態で

意識が舟だとしたら
私は漕ぎ手なのだろうか

明日はやって来るものではなく
静止している風景なのだろうか

2 件のコメント:

  1. 中村ゆき子2012年11月2日 0:44

    仕事も生きることも辛いし、しんどいのが普通だと思えばそんなに悩む事もない。神様がいるのなら罪もない命を奪ったりもしないでしょう。
    意識が舟なら、私は漕ぎ手でもあるし、さからうことができない波かもしれません。怒るまいと意識の中で思っても唇や拳が震えるのをコントロール出来ないように。明日はやって来るものでも、向かっていくものでもなく、かなしみや苦しみを軽くするための区切り を表すものだと思う。人は必ず死ぬ。自分の意識の中で感じる愛する人や大切に思うものの為にとりあえず頑張って生きてみよう!そんなことを考えながらみんな生きてます。

    返信削除
  2. 中村さんのコメントが心に沁みます。

    返信削除