生きていても
死んでしまっても
人に迷惑がかかるから
ただ慣性の法則に従うのだと
理屈をこねくり回して
毎日をやり過ごしているが
食欲を始めとしていろんな欲求が湧いてくるので
頭や体の働きもそれに任せて生き延びている
嬉しいことも
悲しいことも
楽しいことも
いらいらすることも
辛いことも
どうでもいいことも
毎日やってくる
知人や友人たちは
どうしているのだろう
長年仕事をしてきた人たちは
それなりに形になって
周囲に認められ 尊敬もされ
稼ぎや蓄積もあるだろう
あと1本糸が切れたら
自分は奈落の底へと落ちる
その一本にすがって
不安に揺れている
もし死んだら
生まれ変わるだろうか
それとも知らないうちに
誰かの人生を引き継いで
その命をやっていくのだろうか
神様に知らされることもなく
何の記録も遺らない状態で
意識が舟だとしたら
私は漕ぎ手なのだろうか
明日はやって来るものではなく
静止している風景なのだろうか
仕事も生きることも辛いし、しんどいのが普通だと思えばそんなに悩む事もない。神様がいるのなら罪もない命を奪ったりもしないでしょう。
返信削除意識が舟なら、私は漕ぎ手でもあるし、さからうことができない波かもしれません。怒るまいと意識の中で思っても唇や拳が震えるのをコントロール出来ないように。明日はやって来るものでも、向かっていくものでもなく、かなしみや苦しみを軽くするための区切り を表すものだと思う。人は必ず死ぬ。自分の意識の中で感じる愛する人や大切に思うものの為にとりあえず頑張って生きてみよう!そんなことを考えながらみんな生きてます。
中村さんのコメントが心に沁みます。
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