なになに を しているあいだに
なになに を しおえてしまった
先生が
構文の説明を始めた
かのじょが なになにをしているあいだに
かれは なになにをしおえてしまった
私は
胸騒ぎが抑えられない
彼は
大丈夫なのだろうか
彼女は
このことを知っているのだろうか
かれが なになにをしおえたとき
かのじょはまだ なになにをしていた
先生は
別の言い方で繰り返す
なになに に
言葉を挿入するのだという
私は 言葉がうまく挿入できない
先生はかまわず
どんどん先へと進んでいく
じんせいは ひまつぶしのようなものだ と
かのじょはしんじていた
先生は次の構文の説明に入る
私はまだ前の構文に縛られている
それに
私はそう思いたくなくて
世界中に飛んでいったのだ
そこには確かな目的が有るはずだと
用事を拵えては出かけていったのだ
じんせいは はひまつぶしのようなものだ と
かのじょはしんじていた
先生は繰り返すが
信じることは暇つぶしの条件なのか
そこに何が有るというのだろう
廊下で鐘が鳴った
そして
教室から私たちは出て行った
そこに何が有るというのだろう
そこに何が無かったというのだろう
*
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何があって、何がないのか
返信削除私がいて、あなたがいて
それだけでいいのにね。
一緒にいるのがいいんだよ。
疑うことより信じることのほうが難しく
返信削除謝るより赦すことのほうが手強くて。
詰まるところ、全ては自分の心の中に鍵がある。
のかな。
留まりたいのに、先へ進んでしまうのですね。。
返信削除「人生は暇つぶし」そう信じられたら、
少し心が楽になれそうです。
「じんせいはひまつぶし」
平仮名は、おなかがすいてきます。
いつか食べたい「ひつまぶし」
『人生はは暇つぶし』論、なんとか否定したいのですが、八割真実なので、難しいです。
返信削除コメントをくださったら方、ありがとう!