2011年11月26日土曜日

なになに を しているあいだに


なになに を しているあいだに

なになに を しおえてしまった

 

先生が

構文の説明を始めた

 

かのじょが なになにをしているあいだに

かれは なになにをしおえてしまった

 

私は 

胸騒ぎが抑えられない

 

彼は

大丈夫なのだろうか

彼女は

このことを知っているのだろうか

 

かれが なになにをしおえたとき

かのじょはまだ なになにをしていた

 

先生は

別の言い方で繰り返す

 

なになに に

言葉を挿入するのだという

 

私は 言葉がうまく挿入できない

先生はかまわず

どんどん先へと進んでいく

 

じんせいは ひまつぶしのようなものだ と

かのじょはしんじていた

 

先生は次の構文の説明に入る

私はまだ前の構文に縛られている

 

それに

私はそう思いたくなくて

世界中に飛んでいったのだ

 

そこには確かな目的が有るはずだと

用事を拵えては出かけていったのだ

 

じんせいは はひまつぶしのようなものだ と

かのじょはしんじていた

 

先生は繰り返すが

信じることは暇つぶしの条件なのか

 

そこに何が有るというのだろう

 

廊下で鐘が鳴った

そして

教室から私たちは出て行った

 

そこに何が有るというのだろう

そこに何が無かったというのだろう

*
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4 件のコメント:

  1. ちょりんちょりん2011年11月27日 1:29

    何があって、何がないのか
    私がいて、あなたがいて
    それだけでいいのにね。
    一緒にいるのがいいんだよ。

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  2. 疑うことより信じることのほうが難しく
    謝るより赦すことのほうが手強くて。
    詰まるところ、全ては自分の心の中に鍵がある。
    のかな。

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  3. 留まりたいのに、先へ進んでしまうのですね。。

    「人生は暇つぶし」そう信じられたら、
    少し心が楽になれそうです。

    「じんせいはひまつぶし」
    平仮名は、おなかがすいてきます。
    いつか食べたい「ひつまぶし」

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  4. 『人生はは暇つぶし』論、なんとか否定したいのですが、八割真実なので、難しいです。
    コメントをくださったら方、ありがとう!

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