2010年10月1日金曜日

あいまいなわたし

世間は
あいまいなことであふれている

そのほうがいい と
みんなが 言う

そう言う みんな は
オトナ と呼ばれている
呼ぶのはオトナである

ところで
山の中腹にある
自然公園
(中腹というのが どの辺りなのか
なんという山であったかは
あいまいだが)
そこに
かもしかが 数頭いた
その かもしかは 
なぜか クリスマスになると
商店街に 駆り出された

いい 鴨になった
とは思わない
だって
かもしかは
喜んでいたかもしれない

しかし
もしかしたら
かもしかは
疑問だらけだった
かもしれない

自分は誰なのか
トナカイと 同じなのか
そうなのかもしれない
でもすべては
うそのうえに成り立っているのかもしれない

首を傾けて
澄んだ目を空に向けて

2 件のコメント:

  1. じゃじゃ丸2010年10月7日 1:58

    自分と人の境界線。
    夢の記憶と過去の記憶の境界線。
    みんなあいまい。
    白黒はっきりつけた方がいいのか。
    あいまいなままがいいのか。
    その答えも曖昧。

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  2. 中村ゆき子2013年1月15日 17:53

    曖昧なのは後々都合がいいですね。
    自分が迷ったときはどっちつがずの曖昧な答え出してごまかす。
    でも、返事を、もらう時に曖昧だったら、時にはもどかしく、時には残酷、時にはホッとしたり。色々迷いながら真意を解読したりする。
    結局、迷うことが人生ですかな?

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