2013年8月31日土曜日

あるく

あるく
みちを
ろうかを
かいだんを
エレベーターを

えきを
ひこうじょうを
スーパーを
がっこうを
じぶんのへやのカーペットのうえを

のはらを
すなはまを
おかのさかみちを
びょういんへむかうせまいほどうを

ねこのうしろから
むかいがわのひとときょうそうしながら
ながいかみのひとのシャンプーのかおりのあとについて
あらまるためのささやかなおくりものをかかえて

あるく
おいかけてくるつきをよこめに
もれてくるラジオのおとをみみにして
ふるいことをいきなりおもいだしたりしながら

あるく
ふつうのきもちで
さびしいときも
わるいしらせをまだしらないときも
なにかのよかんがとぎれてしまったときも

ふだんどおりに
わざとほほえみながら
てをふってあしをあげて
くじけそうになっても
くじけなくても

あるく
いこくのまちを
だれかといっしょに
だれかがいっしょでなくても
きょうも
あるいている
いま
たちどまって
また
あるきだした

2013年8月30日金曜日

三流の私

超一流の
第一線で活躍しているひとの
そばにいても
自分が三流であれば
華やかな世界に足を踏み入れていても
三流であることが際だつだけ

綺麗なひととつきあっても
自分が醜ければ
鏡に映る姿に
写真のなかの自分の姿に
ぞっとするだけ

何を夢見ても
たとえその夢がかなっても
かなった夢が失われたら
夢を叶えているひとと仲良くしていても
自分の部屋のありさまをみて
さめざめと
肝を冷やすだけ

そこに救いはないけれど
救いがないことが唯一の救いか
そこから抜け出したい
か細い思いが
唯一自分をあたため
凍りつくのを防いでいるだけ

2013年8月29日木曜日

きょうで3年目が終了しました。4年目にはいります。



3年前の次の日。2010年8月30日。それまで世間との関わりを最小限にして生活してきたが、また、詩を書いて世間と繋がることにした。世間のうちの半分は自分という得体の知れない身近なやっかいものだ。
世間と繋がっていいものか。幾人かの知り合いは「名前を出さないほうがいい」と言った。また幾人かの知り合いは「気にせずどんどんやるべきだ」と言った。当時はそういうことさえ、難しい、重要な問題に思えた。
公開で、フィクションの詩日記を書くだけ。そういう「言い訳」を用意して、書きはじめた。なんて小さな、つまらない自分。読者は知り合い数人だった。

2013年8月29日。きょうでまるまる3年間続けたことになる。この3年間で、ずいぶん変化したこともあるし、変わらなかったこともある。過去の自分に戻ったこともある。一生懸命やったが、うまくいかなかったり、へこたれたり、ひねくれてひきこもったりした。丸3年なんて、とるに足らない価値かもしれない。だが今の自分にとっては、大事な勲章だ。(勲章なんて、いいものじゃないけれど)。
2008年、自ら創業した事業の経営破綻で、多くの人を傷つけてしまって以来、そのことにどう向き合ったらいいか、なにをしたらいいのか、いつも心の底で考えてきた。堂々巡りを繰り返す中、少しずつ冷静に、ディテールがみられるようになり、いまも発見することがおおい。
そんな中、毎日書き続けていると、詩に対する思いは強くなり、強くなるにつれ、問題意識も強くなっていった。詩を特別視している自分に、つぶしのきかない、異様な「弱さ」を感じるようになった。詩と自然にふれあい、自然の一部のように詩とつきあいたい。そういう思いが気持ちを満たしていった。それは、詩ではない、人間の心と深く関わりたい、という願いであると気づいた。

いま、私が抱えている問題は、どこでどのようなものに結実していくのだろうか。この場は、小さく、見えないほどか細く、隅っこにある存在だけど、役立つのではないかと感じている。答えはいつも「いま」のなかに「問い」の形であり、いつまでたっても答えが出せない予感が寄り添っているが、見てくださっている皆様と、人として生きるすばらしさを発見していけたらと思っている。

2013年8月29日

くさぼうぼうの

くさぼうぼうの
のはらをあるく

くさをふみしめ
くさをけちらし

こんなゆうきが
あったのだ

くさをきにせず
ただただすすむ

2013年8月28日水曜日

キツツキの私


うそつきの私
キツツキがすき
傷つきやすいから
キスするなら
気をつけてね

キツツキの私
キツネと月がすき
ツキが回ってきたら
羽根つきの音で
つつきます 木

傷ついた私
傷つけたキミ
スキマをうめて
きっとうちあけてね
うそつきは禁止

2013年8月27日火曜日

薄暗い部屋で  ー稲妻ー


すりガラスごしに
見える

あれは
稲妻が
縄跳びしているんだ

こっそり
場末の路地でやっているつもりなのだろうが
体がおおきいので
地上の人間たちには
もちろん感づかれてしまっている

(いつもそうだ)

稲妻が縄跳びする時は
何かの悲しい知らせを聞いた時と決まっている
寂寞が空を覆い(時に夕闇、時に青空だが)
ひと面の舞台が出来上がる

(誰かに教えたいが
教えるべき相手がいない)

稲妻の縄跳びは
針金の閃光(せんこう)が
浮いた魂を引っ掛けようとする

引っ掛けて
つれ回しもせず黄泉の国へと
持っていくのだ

すりガラスごしに
見える稲妻は
人情と通じているが
決して馴れ合いを許さない

薄暗い部屋で
床に座って
稲妻が縄跳びしているのを
見ていると
前にこんなことがあったのだと
思い出してくる

かかとが堅い
そして皹(ひび)が入っている
稲妻は
縄跳びをやめない
許しが出ないからではない
自らを嗜(たしな)めるためにやっているのだ

いつか
まりを持った少女が
私を見上げて
何か言っていた

あのことばに
行き着く
その言葉は
くり返し
轟音にかき消され
裂かれ続けている

2013年8月26日月曜日

水たまりの泥


私は水たまりの泥
水面の向こうの空を見上げている
視界を遮り
私を飛び越えていく
あのめそめそ女の
顔は分からない
遮った闇に消えていく白い脚が
月のようなその肌触りを
私に落としていくだけ

2013年8月25日日曜日

子どもの日常


自分の狭い視界にものを押し込めて見ることを
あたりまえもように学んで
おとなになった

おとなは子どものように
ものを見ることができない

子どもも
おとなのようにものを見ることができない

だが
わがままな神さまのように
ものを見ることができる

そんなことできっこない
と おとながいう
でもやってみたい
と 子どもがいう

そんな会話をなんどくり返してきたことか

夕暮れ時
まだ帰りたくない
明日はなにして遊ぼうかな
と 子どもがいう

神さまがそれに続けていう
明日はなにして遊ぼうかな
まあ あした考えればいい
段取りなんかはおとなに任せて
家に帰ってゲームしてあそぼう

そして
流行の戦闘ゲームのボタンを押した

2013年8月24日土曜日

キュッキュッ

靴がキュッキュッとなって
近づいていくとばれちゃう

もうきみはその音をきくと
よろこんじゃう

きみに抱きつくまえに
ぼくもきみもよろこんでいるから

あとすることは
ナイショのことだけ

キュッキュッ
月も沈んだ道を
帰っていこう

2013年8月23日金曜日

サイレンがなっていた

サイレンがなっていた
サイレンは遠ざかっていった
いまは耳の奥で鳴っている
いつのまにか
なつかしい唄と混じって
唄のゆりかごとなって
若い母が揺らしている
ゆりかごの夢

2013年8月22日木曜日

コスモス


あなたと初めて会った日
誰かにあなたの名前を聞きました
夕日を背にしてさびしそうなあなたに
名前をつけて呼んだのは自分
という錯覚

2013年8月21日水曜日

想定内のウソ


作り上げたものが
使えなくなります

いいものを作ったと自慢していたのに
もう使わないほうがいいのです

みんなで作ったものでも
ひとりで作ったものでも
そのことには関係なく
使うかどうかは
限られた人が決めるのです

使うことに不都合が生じました
期限のあるモノは廃棄しなければなりません

どうぞよろしく

あなたが喜ぶ答えはありません
怒りたい気持ちは満足させることでしょう
でもそれは刹那
そして皮肉でもあります

だんだん
私が誰なのか分からなくなってきました
みんな溶けて混ざっていってしまうのでしょう
その前兆

それならばせめて
意識のあるうちに
まともな 建設的なことを言いたい
でも言えない

それも分かっています
したり顔のおとなですから

想定外というのも
もちろん想定内のウソですから

2013年8月20日火曜日

すみか

小さい声で
唄っているのですね
だんだんと
大きな声になっていって
あなたもぼくもその歌に飲み込まれてしまいましたよ

歌の世界は透明で
外の景色が綺麗に見えて
人の心を信じたくなる
魔法の部屋ですね

遠くに連なる山々
遠くで鳴っている波音
子どもを呼んでいる声
水たまりをバシャバシャする音
木が揺れて葉が擦れる音も
やさしくささやきかけてきます

あなたは歌の世界に住んでいる人
私はたまにくる客人

小さい声で
唄っていたあなたに
気づかれないようにしたいけど
つい気づいて欲しい気持ちが勝ってしまう
ごめんなさい
きょうも訪ねてきてしまって

2013年8月19日月曜日

おかげさまで90000を超えました

日本
78788
アメリカ合衆国
7253
ロシア
1678
マレーシア
399
ドイツ
249
大韓民国
134
イギリス
122
中国
48
カナダ
45
ウクライナ
41


カウントが間違っているようですが。自動集計の数字です。

真夏のチョコレート

チョコレートが私を呼んでいるのか
私がチョコレートを呼んでいるのか
どっちだと思いますか?

私はチョコレートの在りかまで
一目散に駆けていくけれど
チョコレートが私を呼んでいるのか
私がチョコレートを呼んでいるのか
どっちだと思いますか?

私はいま何度目かのダイエット中
チョコレートは真夏のセールでまとめ買い
冷蔵庫のいちばん上の棚で かちんこちん
私は食べたくて一日10回 目をまわす

チョコレートが私を呼んでいるのか
私がチョコレートを呼んでいるのか
どっちだと思いますか?

ねえあなたは
どっちだとおもいますか?

チョコレートが悪いのか
私が悪いのか

たぶんどっちも悪くない!!
絶対どっちも悪くない!!

2013年8月18日日曜日

人生は飛行機雲

人生は飛行機雲
青空を汚してやっと描かれた
一本の線
絵になりたくても
自らなることはできない
だからいつも
見上げる人の想像力に
すがるっている

人生は飛行機雲
愛する人と出会ったよろこびを
誰かの心にとどめたくて
必死に言葉を吐く
だれかが認めてくれることで
不仲になった世間とも和解して
どうにかやりくりして生きてゆけるから

地球の命をもらって
死ぬまで自分を滅ぼさずに生きてゆく
愛の力を信じたくて
永遠と寄り添う儚い夢を見ながら

2013年8月17日土曜日

宇宙の中のちっちゃな自分

宇宙の中のちっちゃな自分
心に宇宙をいれている
はみ出ているのはご愛嬌
私もおへそを出してるし

2013年8月16日金曜日

君があの暗い少年に


君があの暗い少年に思いを寄せてくれているから
私は生きてゆける

君は

薄暗がりの廊下や
曇った日に乾くことができない土の壁や
世間から理解されず狂って歩いているあいつを

安く買いたたかれて果物一つ買えない若者を
病に伏せている独り身の母の横で静かにひとり遊ぶ幼ない児を
何事でもないように
ただ
それは何事でもないように 描き続けた

君があの暗い少年に思いを寄せてくれているから
私は生きてゆける

私が生きてゆけるのは
あの
暗い少年に光が当たったから
ほんの一瞬
あの暗い少年に光が当たったから

2013年8月15日木曜日

戦争はもう始まっていた


戦争ごっこをして遊んだ夏
あの夏は遠ざかっていったが
戦争は遠ざからない

男の子たちは
きょうも
戦争をやめることができない
もう始まっていた戦争

受け継がれ
引き継がれていく戦争
知らないうちに始めている戦争
折り重なり
人を渡し
戦術を渡し
武器を渡し
途絶えることがない

戦争は
人を使っている
戦争は知っている
人は戦争と手を組もうとしていることを

知っていて
語ることがない
人の口に
戦争を語らせるとき
僅かにその言葉を操り
あとは
知らん顔をしているだけ

2013年8月14日水曜日

ブルーなシャンデリア


暗い海の底に心を沈ませて
息をひそめて生きる意味を問い続けるの
太陽は波に反射して
遥か上空のブルーなシャンデリア

ここには影さえできない暗がりがあり
声をたてることができない静寂がある

人たちは私のことを忘れ
世界の平穏と自分の幸福を祈って
それぞれの道でがんばってるんだろう

捨て去っていいものは
何かあるの?
大切な何かを差し出して
卑怯者に加担している

だがそれも世のため人のため
必要悪というものがあり
だれかが犠牲を払っている
だれかが涙をこぼしてる

暗い海の底に心を沈ませて
息をひそめて生きる意味を問い続けるの
太陽は波に反射して
遥か上空のブルーなシャンデリア

私は声を出さないから
古代の深海魚と話ができる
だまったまま
目的や意味は置き去りにして

ここは花の島 コマーシャル




Flowers of Fukushima  
映像/今垣知沙子

福島県立田村高校合唱部・吹奏楽部 「ここは花の島」

「ここは花の島」作曲・谷川賢作 作詞・マツザキヨシユキ

2013年8月13日火曜日

私は知らなかったのだが



月影の浜に
波が這い上がって
あなたをさらおうと
手をのばした

あなたは
とっさにその湿った手で
なまめかしくにぎり返し
鼓動で合図を送った

波はあなたの中に
入ろうとして
裾を巻き上げ
引力に逆らっていたが
やがて
蒸発を試みた

あなたは
あなたの中に入った波を
自分と区別できずに
潮を吹いて押し出してみようとした

月影の浜に
不良少年がたむろして
仕掛け花火を楽しむように
私を見ていた

私は見られることが恥ずかしくて
逃れようとしたが
なおさら恥ずかしいポーズととってしまうだけだった

あなたは
波の中に私を誘い入れ
波の背中を汗で光らせて
朝を遠ざけた

2013年8月12日月曜日

少女は二つのマリを抱えて

少女は二つのマリを抱えて
立っている
もうほかに何も持つことができないから
期待と疑問のタトゥーシールを
うでとお尻の上部に貼り付けてある

少女は何のために
そこに立っているのか
すでに忘れてしまっているから
声をかけて肩に触れてくる男に
片っ端から訊いてみるが
男たちは不意打ちを食らって
みな逃げだしてゆくので
少女は
時計回りに針が動く
時計とともに
いつまでも立っている
時の経つのも忘れて

2013年8月11日日曜日

2013年8月10日土曜日


死んだ人や
死なずに苦しんでいる人や
死ねずに絶望している人
痛みや恐怖も振り切れ
うつろにさまよう人
なくなった手足や髪の毛
溶けて固まり
誰かと一体となったように感じられる体
焼けこげた匂い
炎と煙があがっている自分
うめき声と叫び声でできた地響き

その間にできている細い道

死んだ人や
死なずに苦しんでいる人や
死ねずに絶望している人
痛みや恐怖も振り切れ
うつろにさまよう人
なくなった手足や髪の毛
溶けて固まり
誰かと一体となったように感じられる体
焼けこげた匂い
炎と煙があがっている自分
うめき声と叫び声でできた地響き

その道を倒れ込むのをこらえて歩き
神社の階段をにじり上り
回廊に倒れ込む人びとに身を寄せて
力つきた

さっきまでの自分が
私にダブって
私とは何者なのかを
くり返し教えてきた

ありがとう

いまだから
言える

いまだに私は何ものなのか
問いかけ
教えてくれる
自分

2013年8月9日金曜日

最初の原子爆弾


原子爆弾 は
まだ 爆発を 終えていない

最初の 一つが
広島の上空で 爆発を 始めてから
68年が 経とうとしているが
まだ 原子爆弾の その 爆発の
奇妙な形の 傘の下で
広島も 長崎も そして
世界中の あらゆる都市が
破壊され 哀れまれ 復興されていくけれど
本当は まだ 一つ目の 爆発さえ
終わっていない

終わっていないのだから
私たちは
新たな文明を始めたり
産業を栄えさせ
人びとの 幸福を考え
祈ることが 出来ない

爆発が 始まった 合図の鐘が
鳴っている
その響きが 木霊して
死者を つなぎ止めている
死者と一緒に
私たちもまた つなぎ止められている

キノコ雲は 夏の日差しに そびえ
広がってゆく

広がりませんように
もとに もどりますように

誰が叫んでいるのかは 分からない
私たちは 冷静に その声を聞いている
余裕はないから

岡崎武志さんが書評(サンデー毎日・2013・8)で取り上げてくださいました


2013年8月8日木曜日

ちきゅう に すきゅーばだいびんぐ


おくつが きゅっ きゅっ と なったのは
だれかに きづいて ほしいから
きゅうかんちょう が にげだした
きんきゅう しゅつどう きゅうきゅうしゃ

おくつが きゅっ きゅっ と なったのは 
だれかと あそびたいのかな
きゅうじつ しゅっきん まま いない
どーむ きゅうじょう きゅうれんぱい

おくつが きゅっ きゅっ と なったのは
ぼくと はなしが したいから
きゅうに なみだ が でてきたよ
ちきゅう に すきゅーばだいびんぐ

88888

いつの間にか
88888
を超えていました

誰が88888
をゲットしたのでしょう。
気になります・・・・

このブログ
特に詳しい分析システムを入れていないので
どんなふうに見られているか
たまに「知り対けど分からない」ということになります

だれか
いろいろ教えてください

「わたしはこんなふうに
ここを訪れ
こんなふうに読んで
こんな感想です」
みたいなこと

こんごとも
日記のような独りよがりのブログですが
どうぞよろしくおねがいします



2013年8月7日水曜日

達者で


こんにちは
ぼくは
この体を借りて
この世を行きていく
世俗的な人間です

この体が
ストレスなく
世渡りをしていけるよう
できるだけ協力しています

体はこわれることもあるから
修理して
点検も怠りません
毎日の栄養補給も
もちろん心の栄養補給も
大事な仕事です

別の体とぶつかったり
事故を起こしたり
時には戦争に出て行かされたりと
リスクはまわりにたくさんあります

だから油断することは
許されません
政府はセイフティネットを用意して
それぞれの体の存続を
サポートしてくれますが
それだけでは
十分ではありません

ですから
それぞれが
自分の体に合った
メンテナンスや気配りを
しなくてはいけません
そして
中にいるぼくたちが
充足感を得なければ
この仕組みは自ずと
消滅してしまうでしょう

生まれて
一つの体を宛てがわれて
50年から100年ほどが立つと
我々は体を見捨てて
新しい体に乗り換えなければなりませんが
愛着ある体を離れることは
不安や寂しさが伴い
場合によってはかなり辛い思いをすると
いうことです

また
そのことは体には知らされていないから
体は慣性の法則で
生き続けようとする
ぼくたちは体に告知することなく
この体を後にすることが
使命として遺伝子に組み込まれているらしいのです

そのせいで
乗り換えは
体たちの間では
悲しい儀式となっています

あっ
と ここまで書いてしまいましたが
ぼくの体は
このことに気づいているようです

だから
これを書くのを
見逃してくれたのでしょう

体よ
ありがとう
あとしばらく
もうしばらく
達者で暮らしてくれ


2013年8月6日火曜日

先生

私が好きなひとはあなた
あなだか好きなひとは私
お互い好き同士の私たち
さあ英語で言ってみよう

2013年8月5日月曜日

たのしいせかいは


たのしいせかいは どこにある
ここが たのしい せかいです

つらいできごと どこにある
ここに やまと つんである

すきなあのひと だれといる
きらいなひとと あそんでる

たのしいせかいは だれがいる
じぶんはいない しりません

2013年8月4日日曜日


いてはいけないりゆうなんかない
いなくてはいけないりゆうなんかみつけられない
ただしぜんにいるだけ
ただいなくてはいけないとおもえないだけ

始まりのない きょう


マチに出れば友人もいるさ
寂しい魂かかえておどけている
なぐさめの言葉も全部きき飽きて
いつものパターンも分かっちゃった

崖っぷちを歩いているのは
自分だけじゃなく
だれもが見て見ぬ振りをして
知らんぷりをしているだけ

夜も明るい太陽が出て
夜明けの気配を消そうとしている
おまけに夜が来たことも
ただ時計の数字で知るだけだよね

長いものにまかれる人を
他人事のように眺めあって
ぬるい空気にならされていく
合成された植物の匂いと
スピーカーの鳥の声に励まされ

どこまでいっても
このままじゃ
なにもはじまらない
ついていくだけ
でもいったい誰に
ついていってるんだろう

まるくなって
たき火のまわりを回っているだけ?
誰かの背中は
私の背中に繋がっている?

このままじゃ終わらせることも出来ない
始まりのない
きょう・いま

2013年8月3日土曜日

夢の重さ 〜イクノさんへ〜


こんにちは イクノさん
あのとき書いて以来
ずっと登場させることがなかったけれど
あなたはいまも
高校生ですか

わたしは
あの当時の夢をいくつか叶えて
そのあとまた新しい夢を持って
それもいくつか叶えました

けれども
それらの夢は夜空に星座の輪郭だけを残して失われ
私はいままた
切符の燃えかすを手に
あなたがいたあの頃のように
新しい夢を叶えるための第一歩を
踏み出そうとしています

イクノさん
あなたはかつて私の詩の中で
「イクノ」と呼び捨てにされていました
そしてあなたは
黒板に書かれたメッセージの1行の中にいたに過ぎませんでした
それでも
わたしは初めていまあなたに向かって言いたいのです

私が見る夢はどんなものかは分からないでしょうが
大空の天秤のうえに名前の重さだけを載せて
その反対側の夢と重さを釣り合わせ
ゆらゆらと揺れていてほしいのです

私の夢が重くなりすぎないように
そして
夢にとって大事なのは重さではないと
そこから常に教えてくれるように

2013年8月2日金曜日

あいまいなこと


夜のあいだに
月が(または星が? だれかが)魔法をかけたのでしょうか

外へ出ると
いつもとおなじ景色なのに
いつもとちがう感じがしました

(でも
そのことは誰にも
話しませんでした)

こんなことは
いままでに(わすれたころになると)
何度もあったのです
そのせいで
こんなことがあると
なつかしい気がします

「なつかしさ」は
やがて
なつかしい香りを運んできます

私たちを包むために

そして
包まれた私たちは
ひとつになります

そのことに
私は気づきましたが
まわりのみんなは
気づいているのでしょうか

2013年8月1日木曜日

ぼくだって すごい かな


おとな って へんだな
おこっていたのに わらって あくしゅする
いやなことされたのに ありがとうって いう
おとな って へんだな
おとな って すごい

こども って へんだな
あやまりたくても また けんか しちゃう
きらいなこなのに しんせつに しちゃう
こども って へんだな
こども って すごい

きみ って へんだな
ぼくができないこと かるく できちゃう
ぼくができること できない くせに
きみ って へんだな
きみ って すごい

ぼくだって すごい かな
きみが みたら
ぼくだって すごい かな

「ここは花の島」が本になりました。





「ここは花の島」は、福島県の写真家・野口勝宏さん、花作家の橋本和弥さんが、毎日インターネットにアップしてきた「福島の花」シリーズをまとめたものです。私は詩を書いて参加しています。
 私が毎日詩を書いてきたのは、 原発被害に苦しむ「福島発」で、被災した方の心の復興に寄与したかったからです。私自身も、会社を倒産させ、自己破産し、親の家まで失ったところでしたので「復興」したいと思っていました。
 そこに「マツザキさんも一緒に復興しましょう」という野口さん、橋本さんのお誘いがあり、よろこんでお応えすることにしたのです。

 福島。そこには美しい花がたくさん咲いていました。東北は豊かな大地です。その花の、一番いい姿を、野口さん、橋本さんの連携で、写真に収め、私は毎日メールで送られてくるその花の写真を見て、心の深いところへの入り口を作るように詩を書きました。
 美しい花の邪魔になってはいけない、花の魅力に負けては詩を書く意味がない、と、格闘と取材の繰り返しでした。
 おかげで、しばらく続けるうちに、花と詩が、心の深いところに届き、何かの力になっていると、実感することができるようになりました。
 
 そして連載開始から1年、皆様のご期待の声、応援に支えられ、とうとうここに「ここは花の島」が完成したのです。震災から2年4か月が経過しました。
 途中、2013年1月に、福島の人に寄り添いたいと、「福島の花」プロジェクト主催による小さなお茶会コンサートを開催しました。その席に、友人で先達である谷川賢作さんがゲストとして応援に来てくださいました。これが合唱曲「ここは花の島」誕生のきっかけとなりました。

 いま「ここは花の島」の本と、合唱曲が、福島をはじめ被災地、全国に散らばっている被災された方、ひいては日本という島に住む皆様の心の糧となり、豊かな未来を育む一助となってくれれば、これ以上の幸せはありません。

2013年7月
 
              「ここは花の島」 詩、詞 担当 マツザキヨシユキ


書籍 IBCパブリッシング刊 2100円
合唱曲 谷川賢作氏・作曲