去年のきょうから一年が経ちました
一年前のきょうも同じ11月20日でした
11月20日はやわらかい日差しで
きょうのこの辺りを明るくしています
分け隔てなく日陰以外を照らしています
地震で壊れた街は新しい建物が建ち未来都市が姿を現そうとしています
ビルの間の青空を雲が流れて行きます
ランチタイムに人びとがレストランに大挙して訪れ
壮年の旅人たちはゆったりすることを楽しんでいます
地ビールを喉を鳴らして
満足そうな表情を満面にたたえています
時間は流れているのでしょうか
今が永遠のようにその辺に佇んでいます
スマホを覗き込めば友達たちが会話をしようと仕掛けてきます
手にした端末で心がつなげられ
実際の居場所より近くに居るようです
何が実際なのか
チラと考えたりします
来年のきょうは人びとは何をしているでしょうか
あの人やこの人やその人は
今と同じことをしているでしょうか
いや
多分していないし
しているのだと流れる雲のように考えます
コーヒーを飲み終えた人が
店を出て
次の居場所に移動して
さっきまで一緒にいた人のことを忘れてゆきます
だがまた思い出すこともあるでしょう
思い出さない人は
忘れていますが
思い出したときには
忘れていたことに気づくでしょう
思い出された人は
どこで何を思っているでしょう
誰も何も何かを答えてくれません
誰も何も答えようとしません
新聞の紙面に記者は他人事を記しています
新聞はこの日に置いていきましょう
明日には明日の新聞が配られるので
溜まりすぎないようにした方がよさそうです
まあそんなところです
私もバスに乗らなくてはなりません
「時間」という言葉がなかったら、人は時の流れをなんと表現するだろう?
返信削除過去が追いかけてきて、日常はずっと続いていき、また朝を迎える。・・・・それの繰り返し。
どうしてクレマチスなんでしょう?
返信削除どうしてクレマチスか? あまり意味はないんですが、この魅力的な花の名前を最近はじめて知ったので。何かをおくれ、まってマス、なんていう声が聞こえてきそう。音が面白いですね。
返信削除