2014年2月28日金曜日

かみさまのともだち

あたらしいものを
うまなくなると
ひとは
しんでしまう

きっと
かみさまは
あたらしいものが
すきなんだ

それに
おもしろいものがすきなんだ

ぼくも
あたらしいものや
おもしろいものがすきだ

かみさまは
いばっていそうだけど
ほんとは
さびしがりやなのかもしれない

だからたまに
そらいっぱいに
うつくしいゆうやけをえがいたりする
そうぞうもつかない
こわいゆめをみさせたりする

ねえ
ぼくは いいともだちでしょ
かみさまのきもちがわかるから

2014年2月27日木曜日

ぎょうれつのかんがえ

ぎょうれつになびました
なんのぎょうれつかは
わからなかったけれど
みんながそうしているように
わたしもそうしました

そして
まえのひとがすすめば
わたしもすすみ
まえのひとがとまれば
わたしもとまりました

ぎょうれつはのびてゆきました
いちばんまえも
いちばんうしろも
どうなっているのか
わかりません

ひこうきが
あたまのうえをとんでゆき
そらのかなたで
ぎんいろのほしとまじわりました

ぎょうれつのまえでは
だれがまっているのでしょう
あるいはだれもまっていないでしょうか

わたしはぎょうれつを
あいしはじめました
そしてしんじはじめました
きっといいぎょうれつにちがいないと

しかしぎょうれつは
うらぎることをかんがえていました

どうやって
てきをまいて
じぶんだけいいおもいをしようかと
かんがえていたのです

2014年2月26日水曜日

絶望の先生

ゆうさん
お元気ですか
わたしは不元気て不幸な毎日を送っています
以前
時間というものはライバルでしたが
いまはわたしをこの世界に漂わせておいてくれる
波やそよ風と一緒です

ゆうさん
あなたは軽く笑うでしょう
私の目をみながら
なぜ不幸なんだと
何が不幸なんだと
たしなめるでしょう

わたしはあなたを困らせるつもりは
ないのです
あなたには分かっていますね
わたしがわたしの中にわいた
一つのアイディアに
捕らわれていると

たしかにそうです
でも
だから
わたしはここから踏み出すには
大きな犠牲が必要になってしまうのです
その犠牲はわたしの命を奪ってしまうでしょう

わたしは蛇足と知りながら
結論のあとに
わざと付け加えます
あきらめを味方につけるために
見放された愛の後ろ髪を
繋ぎとめている
明け方に見るユメのために

2014年2月25日火曜日

たべられちゃった

ぼく
たべられちゃった
かみくだれて
のどのおくにおちていった
ぬるぬのとんねるを
まっさかさまにおちていった

きのうのおやつ
かくさずに
たべておけばよかった
なおとがほしがってたしーる
あげちゃえばよかった

ぼく
もまれて
とかされてゆく
もう あしのゆびも みえない
めも みみも とけて
なくなっていく

きっと
えいようになって
からだのなかをながれていくうちに
のみこんだやつに
なってしまうのだろう

まあ
それもわるくないか
だが
このことばをしゃべっているぼくが
いったいどうなってしまうのか
それがもんだいだ

ああ
ぼくはいなくなったのに
にほんごのことばが
のこっている

だれか
たすけてくれ

2014年2月24日月曜日

包まれ上手な人が

包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人がなにかに包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人がふわふわの毛布に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が春巻きの皮に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が餃子の皮にも包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人がしっとりした愛に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人がきわどい愛にも包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が竹の皮に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が和柄の包装紙に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が朝日新聞に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が毎日新聞にも包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が金色の折り紙に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が冷たい空気包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が淀んだ空気にも包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が相変わらずまったりと包まれました
包まれ上手な人が包まれました
そして淋しく包まれたまま
箱に入れられ
去ってゆきました


*長いものには巻かれ、郷に入っては郷に従う。なんのギモンも感じずに、そうして行きてゆく人に、包まれないように、しましょうね! みちる

2014年2月23日日曜日

いじわるなきりん

いじわるなきりんは
とおせんぼ
ことりがとおる
そらのみち

いじわるなきりんは
のぞいてる
こいびとたちの
ひめごとを

いじわるなきりんは
みはってる
しゃっきんとりの
みかたして

いじわるなきりんは
ぬがせたい
チーターがきてる
にてるふく

2014年2月22日土曜日

ひとでなしのふうふ

あるむらに
ひとでなしのふうふがすんでいました
だけど
いつもにこにこわらっていたので
じぶんたちがひとでなしだとは
きづきませんでした

ひとでなしのふうふは
どんなものでもおかねでかえると
しんじていました
だけど
おかねでくろうしたことがあったので
じぶんたちがそうしんじているとは
きづきませんでした

ひとでなしのふうふは
ひとをうらぎってばかりいました
だけど
いっしょうけんめいしごとをしていたので
じぶんたちが
へいきでひとをうらぎっているとは
きづきませんでした

ひとでなしのふうふは
しあわせにくらしていました
そして
さいごにしんでおおきなおはかにはいりました
おはかのまえには
きらびやかなはながおひがんのたびに
かざられていました



*みちるです。人の因果応報は一代限りのものではないんじゃないかな。立派な親の子どもがバカ息子だったり。世代を超えて、つじつまが合っていく。怖いような、救われたような・・・

2014年2月21日金曜日

すてねこ

ひろいねこびとが
すてられねこをひろったが
ねこはひろわれてすぐ
またすてられた

すてられねこを
ひろいねこびとが
またひろったが
すぐにまた
すてねこした

だがまたすぐに
すてねこされたねこは
すてられねことして
ひろいねこびとにひろわれて
ひろわれねことなった

ひろいねこびとは
すてられねこをこよなくあいしていたが
すぐにすてねこして
すてられねこのきもちもわからなかったので
あいするひとには
ついにあいされなかった

2014年2月20日木曜日

たけやぶに  はいるべからず

「この たけやぶに
 はいるべからず」

たけやぶの
いりぐちにたてられているかんばんに
かいてあった

あのたけやぶにはいったことは
なかった

だが いまになって
たけやぶのなかから わたしを
さそいいれようとするものがある

たけやぶのなかに
いったい なにがあるというのだろう
はいったことがあるひとは
いないのだろうか

いたら きいてみたいものだ
あの
たけやぶのなかになにがあるのかを

そうしているうちに
ひがくれて
ゆうやみがわたしをつつんでいた

「わたしのなかに
 はいるべからず」

かんばんをたてて
わたしは
わたしをぬけだして
たけやぶのおくへ
あるいていくことにしよう

2014年2月19日水曜日

春の雨に濡れたい

母が
足が痛いといいながら
寒いキッチンで
麻婆春雨を作っている
私はそれを覗き込む

いつもは〈中辛〉らしいのだが
きょうは〈甘口〉だ
私が子供のころ
辛いものが食べられなかったせいだろうか
今は母も私も
辛いものが大好きなのに

出来上がった麻婆春雨が
私の前に盛られ
母は横から
箸でつついてくる

なんとなく
ぎこちない

春がきて
あたたかい春雨に濡れて
家まで駆けて帰った
遠くて近い
あの日々


*みちるです。あなたの母の思い出はなんですか。私はきょう起こったことを、思い出を見つめるような視線でみちゃいます。

2014年2月18日火曜日

くるみのきのしたに

くるみのきのしたに
きれいなびんを
うめました
それは
ゆめみていた
あのころ
ゆめやぶれる
よかんがおとずれた
つきのよる

くるみのきのしたを
ほりかえしては
いけません
そこには
なにもなかったと
わかるから
うめたときのきもちを
かきかえて
しまうから


*くるみの木の下は心地よい。暑い夏には涼しい日陰を、寒い冬には冷えた心を「くるみ」、あたためてくれるから。はい、こじつけですみません。みちる

2014年2月17日月曜日

すきとおるころもをまとって

よごれてしまったものを
おおいかくそうとして
ゆきがふっている

いつまでも
ゆきがゆきをつれてくるので
きりがなく
ふりつもっていく

だが
よごれてしまったものを
おおいかくそうとしているのは
ほんとうは
ひとのおもい

ゆきは
なにも
かんがえていないから

ただその
じゅんぱくのうつくしさで
けがれのないつめたさで
ちじょうにあるものを
おおいかくし
しずめていく

まちもしにたえたえのようだ
あたらしいいのちがはじまる
よかんをふうじられて

いつか
あおぞらから
そそがれる
たいようのひかりにほだされて
みれんをみずにながして
きえていくゆき

そのしたで
たえしのんでいたいのちたちは
ふたたび
うごきはじえる

ゆきからもらった
すきとおったころもを

まとって



*みちるです。雪に襲われて身動きができない人、どんなにか不安なことでしょう。助けたいと願う人はたくさんいても、実際に手をさしのべられる人は僅か。時の権力者の多くは自らの保身があいかわらずの一大関心事。人の命も最優先にはならない。市民・住民は為政者の悪行にいつも責任を取らされる。雪は神様からの「問い」のように降ってきます。その「問い」を受けとった人は、きっといつのまにか「すきとおったころも」をまっとている。このころもは、いいころもだよ!

2014年2月16日日曜日

全員集合

1

雪降る夜に
餅食った

餅つきの昼
雪降った

それでおいらは
こんがらがって

餅つきせずに
雪食った

2

ファミレスすきさ
ファミリーレスさ
ひとりぼっちは
さびしくないさ
かってきままに
ファミレス暮らし
ひとりじめだよ
全員集合


*我が国の都会にはファミレスが少ない。ファミレスは孤独な人のパラダイスである。
狂った世の中を見詰められる深夜のラジオのようである。みちる

2014年2月15日土曜日

くのいちのせいかつ

くのいちは
くくをいう
くくがいえない
くのいちは
はいくをひねる

はいくをひねる
くのいちが
はいているのは
くろいくつ

くのいちは
くつをはいて
はいくをひねり
はいきんぐ

はいくをひねらぬ
くのいちは
くくをいいつつ
くつしたにあな

たびははかぬ
たびはみちづれ
ここんとうざい
くのいちは
つきをめでつつ
つつがなく
つりにきのぼり

つつましきかな
つつましきかな

2014年2月14日金曜日

チョコレートのカード

下駄箱の中の
チョコレートは
どこからやって来たの?

海の道を歩きながら
カモメにきいてみようとしたが
あいにく
カモメはいなかった

しかたなく
家に帰って
サッシをあけて雲にきいてみようとしたが
知り合いの雲はいなかった

それで それならばと
えりかに電話してきいてみようとしたが
えりかの電話は
つながらなかった

チョコレートは何も語らないので
神妙に箱を開けてみようとすると
かすかな甘い香りが鼻に入ってきて
チョコレートの木の映像が見えてきた

そのチョコレートの木の横に
女の子が立って水をやっている
眩しい日の光を背にその子が振り向くと
それは知ってる女の子だった

その子からのカードのメッセージが
チョコレートの下に
埋めてあった

*みちるです。バレンタインデーで初めてチョコレートをもらった男の子は、うまくその思いを受け止めて、返す事ができるでしょうか。きっと、とても難しい人生の試練なのではと、おもうんです。

2014年2月13日木曜日

君にVサインを

小さな船で漕ぎだせは
カモメもママもついてこれない

夕凪の海の彼方から
星が昇るよ

そのきらめきは
いつか君が見せてくれたもの

なつかしい
星降る音が
聴こえてくる

つじつま合わせの
人生とはさよなら
考える前に
思いのまま
やりたいことを
やる

思いのまま
やった
何も言わずに
君に
Vサインを送ろう


*みちるです。なんでも「じょうず」なことは役にたつのかな。でも「言い訳じょうず」にはなりたくない。すなおに自信をもって(ひらきなおるくらいで)やっていけたら、理想です。他人への言い訳も、自分への言い訳も、たまには必要だけど、癖にならないようにしなくちゃ。


2014年2月12日水曜日

ねえちゃん

ねえちゃん
マスクをずっとしてる
たまに咳して
鼻をジュルジュル
でも風邪引いてないって
みんなに言ってる

ねえちゃん
仕事が忙しい
張り切ってやってる

ねえちゃん
ぼくは知ってるんだ
恋人と別れて
父さんみたいな男の人に
やさしくされて
いやされてる

ねえちゃん
たまに黙り込んで
なにか考えてるけど

考えるのにあきたら
きっと
また
新しい恋人作って
ずる休みして
お気に入りの服をきて
海や森に
出かけてく

ねえちゃんが
楽しくしてるとこ
ぼくは
すき

なぜか
ちょっとだけ
さびしいけど

2014年2月11日火曜日

しつもんしないでください

みんなといるとき
なにをどうしゃべったらいいのか
わからない
しつもんされて
みんなはうまくこたえているけど
ぼくには
なにをどうこたえたらいいのか
わからない

げんき?
と きかれても
すこしおちこんでいるし
なにいろがすき
と きかれても
みるときによってちがってみえるし
イチゴジュースはすき
と きかれても
すきなときもきらいなときもあるし
おかあさんはやさしい
と きかれても
おこるとこわいし
おこらなくてもこわいときがあるし
ぼくには
こたえがわからない

みんなはうまく
こたえている

ぼくははんたいに
きいてみたい
しつもんするのはたのしいですか
だまっていてはいけませんか
げんきじゃないと
がっかりしますか

でも
ぼくはほんとうはしつもんしたくない
かんがえていたいんだ
いろんなことを
ながれるくもをみながら
かぜをほっぺでかんじながら
みんなが
かけまわるこえを
とおくにききながら


  詩・みちる

*みちるです。自分のカラに閉じこもってしまいがちな子をみると、仲間だ!っておもう。そんな子には「人とつきあうのが不得意でも、きっと本当に必要なときには、つきあえるよ」って言ってあげたい。自信はないんだけど、でも自分にもそういうことがあったかな、なんて思うから。

2014年2月10日月曜日

喫茶店の壁にもたれて

喫茶店の壁にもたれて眠っているあなたは
いやなことから
徐々に
ときはなたれて
外したネックレスのように
それを眺めている

いやなことも
いいことも
変わりない   と
感じられてくる

あなたは夢のなかで
瞳をひらいている

くちびるは
何かを語り出しそうだが
コトバは歯の奥に引っかかってしまうので
出てこないだろう

私はあなたをたまに盗み見る
私の良心をたしかめるために

あなたはいつまでも
目覚めない

波間から頭をもたげる
群衆の会話の海のなかに
脳を浸(つ)けて
漂っている
あなたの白い躯



*みちるです。喫茶店で気になる女性を見つけました。地味な服装の女性です。彼女はなにかの資料を読んでいたのですが、疲れていたせいか、壁にもたれてやがて眠ってしまいました。そのとき、彼女は嵐の海に浮かぶ小さな美しい小舟のようでした。ふと、どんないやなことがあったのか私は思いを巡らせたのですが、眠った彼女にとって、それは、彼女の生の美しさを飾るアクセサリーのように思えてきたのです。

2014年2月9日日曜日

たきび

たきびのひがおおきくなって
やまかじになった

ひは のはらをやき
すぎのはやしをやき
きこりのこやをやき
からまつのもりをやき
おちばのこみちをやき
みちあんないのひょうしきをやき
やまのいえのブランコをやき

それでも きえずに
もえるものをさがしては
つぎからつぎへと
もえうつっていく

ひとは
バケツでみずをかけ
しょうぼうしゃがホースでみずをかけ
ヘリコプターがあわをかけても
おかまいなく
めらめらと
とりやけものをおいはらい
いえのなかにはいり
かぐやあるばむのしゃしんに
そのてをのばし
ひとのこころのなかにまで
はいりこみ
もやそうとする

おおきくなった ひは
もう
ちいいさな たきびだったことを
おぼえていないのか

わたしは おぼえている
ちいさいころに
ひをつけた
ちいさな たきび

ゆうやみにほほをまっかにてらしてた
うつくしいほのおと
てをつないでいたひ


*みちるです。たき火が好きだった。たき火を子分にしたかったけど、たき火は気まぐれな大人だった。でも子どもの心をどこかに持っていて、原子力と手を組んだ大人を冷めた目でみていた。

2014年2月8日土曜日

ゆきだるまつくろう

ゆきだるまができてく
ゆきのじめんをころがされて
おおききなってく

からだができたら
こんどはあたま
あたまをのっけて
かおをつくる

ねえちゃんは
へやで おけしょう

めだまはおおきく
はなたかく
ぼうしもかぶせて

ゆきだるまのほうが
いろじろびじん

ねえちゃん
まどから
じろじろみてる

ゆげはいて
ぽっぽーっ


*みちるです きょうは東京でも雪が積もりました。玄関でころびました。転んだのは久しぶり(おとなはめったに転ばないね)。大雪はもっと久しぶり。背の高さほどに積もった雪の中をかき分けて歩いたのは3歳の頃、なぜかよくおぼえています。

2014年2月7日金曜日

ほめられてばかりいるこ by みちる

ほめられてばかりいるこどもがいた
いつもおとなのいうことよくをきいて
あたまがよくおぎょうぎもよく
はきはきとへんじをして
べんきょうがすきで
おまけにえがおをふりまいた

ほめられてばかりいるこどもは
いちどもしかられたことがない
わるいことをしないし
ふざけたりいじわるしたり
ひとまえでおならをすることも
けんかすることだってなかった

ほめられてばかりいるこどものゆめは
しょうらいしゃちょうかおいしゃさんになること
しごとをいっぱいして
よのためひとのためになり
けっこんをしたらかぞくのために
いっぱいおかねをかせぎたかった

ほめられてばかりいるこは
ほめられてばかりいて
それがあたりまえになっていた
あるひ もう つかれた と
いいのこして
つぎのひにしんじゃった

おそうしきには
たくさんのひとがあつまって
おんおんないた
くもひとつない
あおぞらが ちいさなおかんのうえに
ひろがっていた




みちるです。よろしくおねがいいたします。
マツザキヨシユキさんからこの場を引き継ぎました。
2010年から書かれた毎日の詩は、引き続き見ることができます。

みちるとしては、この場を、詩が流れる天の川のようにイメージして、詩を書いていきたいと思います。
一つ一つの詩の力は小さいし、読まれなければ意味がないかもしれませんが。でも、天の川自体には意味がありませんよね。でも、美しい。そして一つ一つの星に思いを重ねることができる。そんな感じが素敵! だとおもって。

2014年2月4日火曜日

みちるが詩を掲載

2月7日より、マツザキヨシユキに替わりみちるが詩を掲載します。どうぞよろしくおねがいします。マツザキヨシユキ
2014年2月4日

2014年2月2日日曜日

ごあいさつ

今から3年5か月前の、2010年8月30日、
この場で
日記のように詩を書きはじめました。
詩を書いて、こうして人前に出すのは2007年にやめて以来、初めてのことでした。

最初はほぼ自分のために書いていましたが、途中から

読んでくれている人のために書こうと意識しました。
しかし、なかなか、人のために書くというようにはなりませんでした。

途中、2011年9月1日から12月31日まで、人生をリセットし、学生時代からやりなおそうと北京に留学し、片言の中国語を話し大学生たちと暮らしながら、詩を書きました。このときは、東京でのいろんな経験や思いを断ち切るために書きました。


2012年、東京に戻り新しい生活を始めるために、中野区から杉並区に引っ越し、仕事も一から始めることにしました。(・・が、なかなかうまくゆかず、2013年2月に、やっとポエムピース株式会社という会社を立ち上げるにいたりました。)


2012年6月から13年秋にかけて、福島から送られてくる花の写真に、毎日詩を付けるという「日課」が加わりました。(これは1年数か月つづきました。)その結果は「ここは花の島」という本として出版され、合唱曲や歌も生まれました。


しかし私が共に生きてきた「マツザキヨシユキ」という名前は、くたびれて、病んでしまいました。このままいけば、一緒に活動する人にも迷惑でしょう。悩みに悩んだ末、私はこの名前に隠居して療養してもらうことにしたのです。

いつまで休んでもらうか、それとももう二度と前線にはたたないことになるか、私にも分かりません。

このページはいつしか、楽しみに読んでくださる方も増えていましたから、ほんとうにお別れは惜しいのですが、この名前を休ませてやるという「わがまま」を、どうかお許しいただきたいのです。


その代わりと言ってはなんですが、新たな詩人「みちる」にバトンタッチしたいとおもいます。これからは、みちるの詩をお楽しみいただければ、うれしいのですが。もしよろしければ、ひきつづき、みちるをよろしくおねがいいたします。(みちるは私とも価値観が相通じる人間です)


それから、愛着あるこの「未来創作」ですが、マツザキヨシユキ隠居後には、引っ越し先が準備でき次第、引っ越す、というのがみちるのためでもあるとおもっています。どうぞよろしくおねがいします。では最後に・・・


「長いあいだ、読んでくださりありがとうございました。詩を味方につけて、幸せな人生を送っていただくことが、私の望みです。またいつかおあいしましょう!(マツザキヨシユキ)」



2014年2月2日


2月7日より、マツザキヨシユキに替わりみちるが詩を掲載します。どうぞよろしくおねがいします。マツザキヨシユキ
2014年2月4日



2014年2月1日土曜日

いじめられているこ

いじめられているこがいます
わたしはとおくからみています
わたしも まえは
いじめられていたことがあります

しょうらい もしかしたら
わたしはだれかを
いじめてしまうかもしれません
だれかに また
いじめられるかもしれません

いじめられているこは
たえています
たえながら なにをかんがえているのか
わたしにはわかりません

ふくしゅうしたいと
かんがえているかもしれません
わたしも
そうかんがえていたことがあります

いじめているこは
なぜ いじめているのでしょうか
ほかにすることがないのでしょうか

わるいことをしなくても
いじめられます
わなにはめられて
わるものにされることもあります
でも
しらずにわるいことを
してしまうことのほうが
おおいかもしれません

いいことをしても
ほめてもらえず
わるいことをしていなくても
いじめられてしまうことがあります

いじめは
ながいじかん
つづくことがあります

いきているじかんよりもながく
ひとりのにんげんには
うけきれないほど
ほしぞらのようにはてしなく
いじめつづけられることがあります

それを
うちゅうのあいは
つつみこんでくれるでしょうか
かみさまは
たすけてくれるでしょうか

こたえをしりたいけれど
こたえてくれるひとは
あうことができないほど
とおくにいる と
あなたのなみだが
あのとき
おしえてくれました