きょうはあなたと過ごした最後の日
朝焼けのような夕焼けが
ビルの向こうに見える
昼
あなたはバイバイといって
バスにに乗って帰って行った
裸足に新しいスニーカー履いて
いつもの喫茶店で
私は考え事をしようとしているが
なにも考えることができない
あなたはいつもの
笑顔で
私との話の続きを
自然に話していた
そして
大戸屋にいきたいといって
そこでおいしそうにチキンとトロロご飯を食べた
私はあなたとは
付き合っていなかったのではないかと
今更思えてきて
必死に打ち消そうとしたができなかった
あなたは家を出て
夜通しDJの紡ぐ音楽に身を投げて
踊った
そこにはあなたの愛する男がいた
あなたは体を弾ませると
自分がこの場から飛び出していっているのを感じた
もはや私は私の姿をどこにも見出すことができなかった
丸まったミミズが陸亀に喰われている映像を
思い出した
魅力のない人生が落ちていたら
それは届けずに放っておいてあげたら
私は生まれ変わり
かっこよく颯爽と生きて行きたい
生まれ変われますように・・・。
返信削除世の中の現実というのを受け入れながら果敢に挑んでいくのと、現実を自分なりに都合のいいように解釈して自分を尊重して生きて行くのと、その二つが対極にあるとしたら、あなたはどちらよりでしょうか。
返信削除私は後者です。他人からはいつまでも夢見がちで、現実から逃避しているように見えるでしょう。
しかし当の本人は、現実に直面しいつも苦悩しています。どう変換してこの不条理に絶望しないようにしようか、そういう力が内面に働くのです。
答えがいつも出るわけではありません。誤魔化すことも覚えています。そうして今日も生きています。
と、いうのがこの詩の解説です。
※詩は現実をベースにしたフィクションです。
あいした記憶が
返信削除あいされた記憶に
上書きされているといい
ほんのひととき 重ねた時を
すれ違った道に ふりかけて
ひかりの道になっているといい
おやすみなさい
マツザキさん、解説どうもありがとうございます。
返信削除私も後者です。何度か、現実を受け入れようとしましたが、
無理でした。
多分、学生時代に大切なものを落としてきてしまったのだと思います。
新風舎さんには、そのカケラが光っていました。
これからは現実と向き合いながら、自分を解放していきたいです。
teakujiraさん、詩をありがとう。
返信削除詩の解説を少し。
大戸屋って、落ち着いて1人でごはんを食べるのに向いていると思います。そういう気分に合った場所であるというのが私の見解です。メニューは体に良さそうなものが多いし、学生やサラリーマン、女子も気軽に入れる雰囲気です。
大戸屋は、落ち着いて生活しようという思いの象徴だと思えるのです。この詩においては、大事なパーツである位置づけとなっています。
Pollyさん、新風舎のこと、大切なかけらのそばに置いてくれてありがとうございます。失われたものを取り戻すにはどうしたらいいでしょう。私は、頑張りたいと思っています。
返信削除先日はありがとうございました
返信削除おはようございます
大戸屋さん。存じ上げています
あまり入ったことはなかったのですが、ある女子とひさかたぶりにあったときに、「おおとやさんで食べたい」と彼女が呟いたので
「(???と思いつつ・・・)よいよぉ」と入ってみました。
彼女は パートナーと良く入るのだと、しあわせそうに笑って 教えてくれたました。
入ってみたら、温かいお茶が出てきて
出来立てのごはんを ふたりで美味しく頂いたのでした。
そう たしか鶏肉とトロロでした。
お野菜の説明もあって、からだに嬉しい記述でした。
しろいごはんがたんと盛ってあって
おうちの御飯のようで
食べなれている彼女は無論のこと
わたしも、なんだか ひどく安堵した記憶があります。
〝大戸屋は、落ち着いて生活しようという思いの象徴〟 おっしゃる通りだと。
きょうも 一日が緩やかに過ぎ行きますように
そろそろ 御飯を炊きますね
(土鍋で 一合、朝炊き立てが 美味しいのです)
暑いので
マツザキ様 くれぐれもお気をつけて
失われたものは、今でも心の中に生きています。
返信削除取り戻すお手伝いが出来たら幸いです。