2011年7月5日火曜日

担当者

国の
人の気持ちを考える担当者から
電話がかかってきた

優しい声で
おはなしを聞きたいのですが
よろしいですか?
という

はい
と答えると
国のせいで
あなたに辛い思いをさせていてごめんなさい
あなたが
どんな気持ちだったか
いまどんなことが気になっているのか
教えてください
という

私がひとしきり喋ると担当者は
そうですか
それは本当に申し訳なかったですね
いえ
申し訳なく思っています
何かできることがあったら言ってください
という

私が
してほしいことを並べ立てると
担当者は
わかりました
すべてが出来るかどうかわかりませんが
一つでも多くできるようにがんばってみます
いろいろ手配して打ち合わせしたら
三日以内にまた電話しますね
という

私は
担当者に
期待しているからよろしくお願いしますと
ややぶっきらぼうに言ったが
ちょっと後悔してあわてて
「ありがとうございます」と付け加えた

泣きながら朝目覚めると
あれから3か月が経っていた
鳴らない電話を抱えて眠るのは
もうやめようか

別の担当者に
相談したい





「おひとよし」というと非難しているようですが、社会で生きていくときに、「おひとよし」は時に命取りになります。それでも、どうしても「おひとよし」にふるまってしまうのは、根がそうだからだしょうか。これは仕方がないのでしょうか。それともいいことなのでしょうか。
国によって重要なデータが隠されていたせいで、被害にあった私達は、どんな『気持ち』を持って生きていったらいいのでしょう。「おひとよし」とお別れすべきでしょうか。

1 件のコメント:

  1. ツイッターからここにくるとコメント欄が、アーン口を
    あけて待っています。
    思わす、何か書かないとと思います。
    これが、コメント欄がなかったら、書きそびれているかもしれません。
    私は、おひとよしなのでしょうか?

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