うかれたひとはいなくなった
まちじゅうに
なんみんがあふれた
しんだひとは
だれかがつちにうめる
といれのかわり
こうみんかんは
なんみんのすみか
がいこくにでかけて
まもってくれないから
てきがやってくれば
ていこうせず
ころされるかもしれない
ひとがたむろしているのは
せめてくるものから
かくれたいからだ
そらからばくだんはふってきていない
ラジオもテレビもほうそうをやめたので
がいこくのほうそうを
きくしかない
ほしがきれいだ
いろんなにおいがまざっている
ちょうへいされたひとも
いるという
なにもたべてない
もうそのことさえわすれそうだ
みんなしょくばほうきして にげたのだ
ひとびとは
ただいきのびるだけのじょうたいとなっている
しをかいたり
うたをうたをうたっているひともいない
あんなに はやっていたスマホさえ
もうするひとを どこにもみることができない
ちんぽをむけて
ちからをこめると
なんと おしっこは
いきおいよく
むこうのふちあたってしぶきをあげた
ふつかぶりの
しょんべんだった
どんな状況でも人は本能でいきているのですね。
返信削除皆が本気でで本能で生きたとしたら
可能性は、無くならないでしょう。
人は生きたいと思うのが本能だと思うから。