2014年1月2日木曜日

夜を待つ朝は

夜を待つ朝は
無骨な薬缶の冷めた水の心

なんのために
生まれてきたのか

思春期は遠く過ぎ去ったのに
青春の蹉跌は
錆びて胸に刺さったまま

心臓が鼓動を打つたびに
これでもか、これでもか、と
痛みを投げかけてくる

夜は眠るもの
朝は希望を抱いで外に飛び出すものと
オトナは教えてくれたけど
むしろ 夜の闇の中にしか
希望は見出せないと今 感じてる

なんのために生きているのか
自己満足のためなのか
それとも他人を満足させるためなのか
そもそも意志や思いなどは無関係なことなのか
大事なことは
口を開けて待っていても
学びようはなかったのだ

夜を待つ朝は
無骨な薬缶の冷めた水の心

1 件のコメント:

  1. 中村ゆき子2014年1月2日 23:47

    何のために生まれ何のために生きているのか、答えが解ればそれに従えますか
    もし、完璧な答えがあったとしても今はまだしりたくない
    何かのために生きているわけではないと思うし、生きていることの価値観は人それぞれなのだから。
    ただ、生きるのは尊く、儚い

    沈とした闇を待つ心は、部屋の片隅で忘れられた薬缶の水と同じ受け身で細やかな望みを懐いている
    渇ききった心を湿らすのは冷めた水でも充分なのだけれど。

    返信削除