その独り身の中年男は
(初めて詩に登場するわけだが)
JR中央線のドア際の手すりに寄りかかりながら
ぼんやり考えていた
昔からその位置が好きだった
TwitterをiPhone4Sで眺めて
学生はいいなぁ と
つぶやいた
夢や希望
世間に知らないことが沢山ある
それは中年男にはないものだ
代わりに良くない常識や古傷や
幾つものシミが顔にあった
この中年男の生きる意味は
どこにあるのだろう
中年男は誰かに教えてほしいと願っていた
しかしそう願い始めてから
無駄な時が流れている気がしていた
電車は都心に向かい高架を走っていて
踏切がない
警鐘も聴こえない
走る音も静かになった
中年男には何が必要なのか
男は黙っていた
中央線の電車だけが
それを教えようとしていた
考えること、すること、生きること、何にでも意味やメリットを求めるからむなしくなる。充実した幸せな日々を追うから自分がどうしていいかわからなくなる。いきるいみがわかったとしても、それ自体意味がない。
返信削除誰かのためになること?誰かをよろこばせること?
それも自己満足にすぎない。たった一度の人生、楽しく生きようと言っても、一人楽しいこと、好きなことしてもつまらない。結局、誰かの笑顔が見れたときが一番嬉しい。同じ電車に乗っても同じ日何てないのです。毎日ふりかかる困難や悩みを片っ端からかたづけていくうちに、そのうちいいことあるよ!
中年男さん、みんな同じようなこと考えてるんですよ。