身代わりにぼくが死んでも
あなたには分からない
ぼくはただ身代わりになって
ひとりで勝手に死ぬだけだから
この命は軽いから
世界のバランスは変わらない
一雨降れば
いつもと同じ空を見上げられる
ぼくは軽いものに憧れていた
みんながダイエットするように
ぼくは命を燃やしてしまおう
すっきりして気持ちいいだろう
だから身代わりにぼくが死んでも
ぼくは幸せなのだ
周りの人は
風に舞うぼくを
手のひらをかざして
受け止めようと戯れる
もう
日差しは夏の予感をのせて
汗ばむほどに強いのだ
「『身代わりにぼくが死んでも』とか言っちゃてる人
返信削除『身代わりにぼくが死んでも』と言っている人は
自分が死んでも、わからないと思っている。
勝手に自分の命が軽いと思っていて、
『身代わりにぼくが死んでも』と言っている人をとっても愛している人の心を踏みにじっても、
自分の方が不幸だと思い込んでいる。
『身代わりにぼくが死んでも』と言っている人をとっても愛している人は、
『身代わりにぼくが死んでも』と言っている人が死んで
「だから身代わりにぼくが死んでもぼくは幸せなのだ」
と言っているので、
生きながら地獄の苦しみを味わう。
『身代わりにぼくが死んでも』と言っている人は、とってもわがままで愛すべき人だ。
桜の花びらは誰かの身代わりに死ぬのですか?
返信削除そうだとしたら、初めて気づきました。
そういえば、助けられたことがあったような気もしてきます。
桜だけではありませんが、花びらにはその美しさとは裏腹に儚さがつきまといますね。なぜでしょう。そんなことを考えていたら、身代わり、という言葉が出てきました。そこで、花びらに尋ねてみたくなりました。どんな気持ちなのか、と。
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