なになに を しているあいだに
  
なになに を しおえてしまった
  
先生が
  
構文の説明を始めた
  
かのじょが なになにをしているあいだに
  
かれは なになにをしおえてしまった
  
私は 
  
胸騒ぎが抑えられない
  
彼は
  
大丈夫なのだろうか
  
彼女は
  
このことを知っているのだろうか
  
かれが なになにをしおえたとき
  
かのじょはまだ なになにをしていた
  
先生は
  
別の言い方で繰り返す
  
なになに に
  
言葉を挿入するのだという
  
私は 言葉がうまく挿入できない
  
先生はかまわず
  
どんどん先へと進んでいく
   
じんせいは ひまつぶしのようなものだ と
  
かのじょはしんじていた
  
先生は次の構文の説明に入る
  
私はまだ前の構文に縛られている
  
それに
  
私はそう思いたくなくて
  
世界中に飛んでいったのだ
  
そこには確かな目的が有るはずだと
  
用事を拵えては出かけていったのだ
  
じんせいは はひまつぶしのようなものだ と
  
かのじょはしんじていた
  
先生は繰り返すが
  
信じることは暇つぶしの条件なのか
  
そこに何が有るというのだろう
  
廊下で鐘が鳴った
  
そして
  
教室から私たちは出て行った
  
そこに何が有るというのだろう
  
そこに何が無かったというのだろう
  *
ma167@hotmail.co.jp
skype:matsuzakiy_yoshiyuki
tel:86-13161848630
 
 
何があって、何がないのか
返信削除私がいて、あなたがいて
それだけでいいのにね。
一緒にいるのがいいんだよ。
疑うことより信じることのほうが難しく
返信削除謝るより赦すことのほうが手強くて。
詰まるところ、全ては自分の心の中に鍵がある。
のかな。
留まりたいのに、先へ進んでしまうのですね。。
返信削除「人生は暇つぶし」そう信じられたら、
少し心が楽になれそうです。
「じんせいはひまつぶし」
平仮名は、おなかがすいてきます。
いつか食べたい「ひつまぶし」
『人生はは暇つぶし』論、なんとか否定したいのですが、八割真実なので、難しいです。
返信削除コメントをくださったら方、ありがとう!