自分らしく生きることを求めるということは
自分らしく生きてほしくないと
言っているのも同じことだと
気づかずに言っているひとは
自分らしく生きていると
思い込んでいる人から見ても
滑稽だが
真に自分らしく生きている人から見れば
見慣れたコマーシャルの一コマに似すぎない
自分らしく生きているひとは
自分らしく生きることを求められるたびに
もっと無名なありきたりの幸せを得て
生きていきたいと思うのだが
相手はそれを許してくれないのを
知っているから
おざなりな答えをするだけである
自分らしく生きたいと願うひとは
自分らしく生きたいと願うことが
自分らしく生きることの
邪魔をしていることに気づかないので
いつまでたっても悩みの中にいる
自分らしく生きたいと思わずに
むしろ自分を殺して生きていきたいと
願っているひとは
自ずと自由な自分らしい生き方をしているのだが
その自由さゆえに不満を持っている
だがその不満が
自分らしく生きることにつながっているのだと
意識することはむずかしい
それは興味がないからでもあるが
生まれながらにして
定まっていたことであるからだ
自分らしく生きようとすればするほど、
返信削除本来の自分から離れていくのかもしれませんね。
何も考えなくても、自分は自分。
自分にしか出来ないことをするしかないのだから。
本当に言いたいことを言える自分、
返信削除本当は言いたいんだけど言えない自分、
自分は滅多に怒ることはない
怒る前に自分を責める癖がある
気持ちに行き場がなくなると、
ま、いいか
で済まそうとする
楽にいきるために逃げてきたやり方
生まれながらに定められてるなら仕方ないな
ちょっとしんどいけど