2011年3月22日火曜日

朽ちて美しくなろうとしている

朽ちて美しくなろうとしている
深く身を沈め
永遠に近づこうとしている

陽ざしも 夜の冷気も
遠くから聞こえてくる音も
潮風の香りも
人が戯れる音も
食べ物の味も
どれも同じものであると
初めて気づいたのだ

だが
その気づきもまた
同じものの一つだ

気づかないものとも
同じなのだ

もう言葉は存在しない
すべての差異が埋められてゆく
このような安定は初めてだ

誰もここにはこない
近くにいるのに
なんと遠いことだろう

朽ちていくことは
生まれていくこと
ただ
その時間の流れを
計るモノサシは
この世に存在しない

波音は繰り返し
語りかけてくる

去ったものたちは
すべてに同化して
言葉で伝えるべき物語はない

4 件のコメント:

  1. 僕が生まれてくる前、僕は何だったんだろう?
    僕のこの世の命がなくなったあと、僕はどうなるんだろう?
    でも、
    僕がマツザキさんにこう問いかけている事実はなくならない。
    なくならないはず。

    返信削除
  2. AKIRAさんが生まれてくる前も後も、ずっと変わらず。何かと一体の命だったと考えるのも悪くないのでは?

    返信削除
  3. 大阪のうけちゃん2011年3月23日 11:40

    朽ちていく、年老いていく、老、それにともなう病。
    それは、この世では、悲しいことですが、あの世へと向かう階段を登っていくと考えれば、美しいことなのかもしれないと思いました。
    私は、魂とは、生まれでは、死んでいくをくり返しながら、向上していくものなのかな?と感じます。
    マツザキさんの仰るように、何かと一体なのかもしれませんね?

    返信削除
  4. 大阪のうけちゃんさんへ
    正しいものを求めるより、美しいものを求めて生きるほうが、いいんじゃないか、と最近感じます。人類の生産活動、消費活動は、美しいものを創造する活動として一緒に(統合して)考えたほうがいいのではないか。そんなことを考えたりしています。

    返信削除