2011年10月15日土曜日

愛しているといえなくなった日

愛しているといえなくなった日に
曇り空を見ている

道を歩くと
自分の靴音が控えめな音を立てて鳴っていることに
心地よさを感じる

これは
さびしい
悲しみのリズムを刻んでいるのだろうか

小さな鳥は
私が見ていることに気づくと
首をかしげて何かを考えているようだったが
すぐに飛びたって
見えなくなってしまった

すべてのことがなかったかのように感じるのは
感傷的な心のせいだろうか

私が歩いていくと
木々や芝生の庭が
前方からやってきて
後方へと去っていく

見上げるられた
木は
角度の変化に合わせて
葉っぱが膨大な情報量の映像を浴びせかけてくる
しかしそれは
ひとときのことだ

銅像の向こうを回り
その古い建物の入り口から中に入り
学生たちの間をすり抜けて
教室に入ると
さまざまな国からやってきた
おそらくはさまざまな事情を変えた人々が
かたことの言葉や
流暢な母国語でしゃべっている

私は
日本で生まれ日本で育った
マツザキヨシユキという名前の人間だが
いまは
ソンチーイーシンだ

ソンチーイーシン
あなたは誰ですか

あなたはなにを
したいのですか

2 件のコメント:

  1. そうか、なるほど、そういうことね。

    返信削除
  2. お忙しいところ、更新ありがとうございます☆

    中国名もあるのですね。
    ソンチーイーシンさん、私もさびしいです。
    深まる秋のせいでしょうか。

    返信削除