2010年10月4日月曜日

新聞連載詩 未来4

「未来の手のひら」  マツザキヨシユキ

皺だらけの手を見ていると
安心だ

その手は
いろんなものを触って
強さを蓄えてきたから

生まれたばかりの日
その手は
差し出された人差し指を
力強く握った

以来 
その手は
差し出された いろんなものを
握ったり
握らなかったりしてきた

父が買ってきたおもちゃ、ドアのノブ、どんぐりの実
リレーのバトン、消えていく雪の粒
恋人の湿った手、去っていった人の袖のボタン
あげればきりのないほどのものたちだ

指先は敏感で
いろんなものの感触も確かめた

きょう
皺だらけの手が
生まれたばかりの命に触れようとしていた

未来へと育つ小さな手が
もうすぐ去り行く人の人差し指を握り締めた

いつかも そんなことがあった
そのまま
しばらく開くことのなかった小さな手のなかに
残ったもの

メッセージ☆
赤ちゃんと年寄りは実はとても近くにいるということを誰もが感じているでしょう。
たとえば二人が視線を合わせているとき、とても濃い交流が何かの形でなされているのではないかと思えてなりません。秘密の暗号交信のように。
輪廻というのがあるかどうかは分かりませんが、生まれてきた命というのは、すべてを見透かす無垢の目を持っている、・・・いや、実はもっとも老成した種の生命そのものの視点をもっているということなのかもしれません。年寄りから赤ちゃんに伝えることがあるとしたら、人類の未来のための使命、とでもいうべきものでしょうか。

1 件のコメント:

  1. じゃじゃ丸2010年10月5日 0:34

    一瞬のバトンタッチですね。
    私は、曽祖父や曾祖母は知りません。
    でも、まぎれなく存在していた。
    命は確実に繋がっている。
    とっても不思議な気がします。
    血が繋がっていなくても、
    私達がつくる、社会は、
    必ず、次の世代が影響を受けます。
    死んでしまった後、
    次の世代の人達が、その社会で生きています。
    私が描いた絵が残っていたら。
    私が死んだ後に、全く知らない次の世代の人が
    見るかもしれません。
    影響力の大きい、小さいはあったとしても
    存在が0の人は、この世ではありえないのでしょう。

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