きょうは、谷川俊太郎さんの誕生日。毎年それを祝い詩を書くのですが、
この詩は違います。
しにゆくひとは
しにゆくひとは
すんでいる
にごりすぎて
すみわたる
みなもになにかをなげいれても
なみはたたず
なにもかもをしまいこむだけ
おともきこえてこない
この世でノイズを聴きすぎたので
もう音はたたない
ただかすかな色彩が
ゆうぐれて
漂ってくる
しにゆくひとは
方向音痴になっていく
三半規管も不要であるから
回路を切ったのだろう
走馬灯のようなおもいでが
走馬灯のように回る
意味が重なってしつこくなっても
意味は無意味に行きついたので
自由だ
しにゆく人が
死にゆきつくまで
あとどのくらい時間があるのか
答える神様はいない
死にゆく人は
死にゆく人になりきり
世間をつんざいて
血潮で線を描く
道に喩えることができる
無粋な比喩は
苦いくすりのように
何かに効き目がある
とは
言えないだろう
無粋な言葉をいくら駆使しても
返信削除言葉はあらゆるものを区別する手段にしかないので感情はつたえることができない。いずれしにゆくものならば、
混じりっけがないぐらい漆黒に濁してしまえば後ろめたさがなくなるかもしれない
何も感じず何にも動じず生きていけたらきっと楽なのかもしれない
だが無粋な比喩などにすがったり狼狽えたりはしない
とは
言えないだろ