2012年3月21日水曜日

蓋に蓋して

地面に蓋をして作ってある
地下鉄に乗って
あなたはさらに
蓋をしようとしているね

蓋はいくつあったら
足りるのかな

2012年3月20日火曜日

むこうのせかいに

するするっと
ぬけていこうよ
すきまをね
ちかみちをね

くるくるって
まいてしまおう
イヤホンのコードと
はしるのにじゃまなしっぽ

くりくりって
くりぬいちゃえば
ビーだまおさめるく ぼみ
むこうのせかいをみるためのあな

2012年3月19日月曜日

未来からの手紙

古いメールに
返事を書いた

古いことは無視して
今来たメールに応えるように

そしたら
すぐに返事が来た

3年後のあなたから

あなたはもう
いつのまにか
3年後にいってしまったのですね

2012年3月18日日曜日

失われた庭

失われた庭は
失われることで
永遠を呼び込んだ

いま
私は その永遠と
戯れて
身を沈める

失われた庭に
風が吹き
太陽がめぐる
鳥のさえずりと
虫の声が
交互に響く

静寂は
私の見つめる彼方に
ひっそりとしている

失われた
庭の場所には
新しい家族が住んでいる

私は
遠く離れて
永遠の庭を
勝手気ままに呼び寄せる

2012年3月17日土曜日

詩人と二人、街道を東へ

詩人を乗せて街道を東へ
詩人は余計なことを喋らない
詩人は詩人にとって大切なことを話す
詩人は自分と世間との関係を大事にしている
だがその自分は世間と分け隔てなく存在することも知っている
詩人の眼は車窓から外を見ているのだろうか
それとも窓枠の水滴が跡を引いて流れる様子か
時々私は詩人の方を見る
すると詩人は前を向いているが
私に目配せして話してくれる

詩人は今ここにいるが
詩人にとっては「今」はどこにあるのだろう
詩人は最近出たエッセイ集の話を私としているが
詩人は私とだけ話しているのだろうか

私はくれかけた休日の街道の混雑の中をすり抜けながら
前照灯をつけたりスモールにしたりしながら
時々ワイパーの速度を調整しながら
詩人と話をする

詩人の撮った映像は
物の見方が特別だと
私は気づいたと私は話す
そして
いままでは思想や書き方が特別だと想っていた
私もその思想や書き方は似ているので
とても近いと感じていた
しかし
本当はそうではなく
見方自体が違うと気付いたんです
と話す
詩人は無意識な領域が
特別かもしれないというようなことを話す
私は納得して嬉しくなる

沈黙して
話し始めるのは
カフェにおけるPAと音場設計の話
プロジェクターの価格と進化と購入方法の話

沈黙すると
次に話し始める話が
まったく別系統の話になるのは
詩人が私の話にあわせてくれているからだ

詩人は
ワイヤレスのPAシステムを
自宅で私に見るように勧めたが
のろのろ運転で自宅に到着すると
一人で建屋の中に入っていった
私は
ワイヤレスのPAシステムの
取扱説明書を受け取った
800メガヘルツ帯は
果たして使えるの゛たろうか
もう売っていないはずだか

そういえば
ソフトバンクが獲得したというニュースの中に
補償料を払うという一文があった

私は一人で車を運転し始めたが
私はまだ
詩人と話していた
詩人は家で
食事を摂っているにちがいない
私も食事を摂ろう

詩人が嫌いだと言っていた蛸は
私も好きではない
そのことは
誰にも話したことがない

詩人との会話は
完結せずに
始まりも終わりもなく
日本語の海の中で
泳ぎ続ける

雪解け水が流れこむ海で
暖流と寒流の間で
天の川と太陽を頭上に置いて

2012年3月16日金曜日

無口な さよなら

さよならさんが
ドアの外に立っていと
ドアを開けた次の瞬間に
さよならさんの顔を
見てしまうことになる

すると
それで
すべては終わってしまうのだ

だから
よくよく用心して
さよならさんと
出くわさないように
ドアを開けなければならない

春風の音が
ドアを叩き
出会いの予感と共に
ドアを開けると
そこには
よく
さよならさんが立っていることがある

さよならさんは
無口だ
何も語ることはない
さよならさんの顔には
何も書いていない
さよならさんが
声を発することもない

そういうことだ
黙して語らず
すべてをすでにしらしめているのだ

その
すべてのなかにさえ
美しい希望のかけらがあるというのに
そのことを口にするものはいないのだ

2012年3月15日木曜日

oblaat関連の新しい動き


2012年3月14日の日経MJ新聞に掲載されました↓

http://tanikawakensaku.com/topics/oblaat/#info15

夜は友だち

あなたが一人でいる時
密やかな気配を感じたことがあるだろうか

それは
あなたに寄り添う
夜という友だち

星の衣装を纏って
あなたの隣にひっそりと座っている

部屋が明るい時
あなたは友だちがいることに気づかない
明かりを消して
薄暗がりをボーッと眺めていると
その
気配と共に
友だちの姿は見えてくる

先に挨拶してくるのは
決まってその友だちの方だ
あなたは
いつも忘れてしまうが
その友だちは
決して怒ったりはしない

だから
たまにでいいから
哀しみを抱いて
部屋のドアを開けて
帰ってきて欲しいのだ

それは
ちっとも哀しいことではないと
知ることができるし
それによって
あなたはまた
友だちの元を離れて
強く生きていくことができるのだから

2012年3月14日水曜日

転がりゆく人

坂道の途中で電話を掛けた
すると上から
誰かが転がり落ちてきた
電話に夢中だった私は
ひょいとよけて
話を続けていたのだが
電話の相手が
何かあったのか と尋ねてきたので
私は正直に
誰か人が転がってきたからよけた
と 答えた
相手は
それは大変だ と言ったが
私との話に夢中だったので
転がってきた人のことはそれ以上話さずに
元の話題に戻った

転がってきた人は
転がりながら考えていた
この世は絶望的な情況だ
このままなにも気にせずに
転がっていよう と

だか
まさにその時
坂の終点に到着してしまった

ああ
なんという
それにしても
それにしても青い空だ!

2012年3月13日火曜日

駅までの道は


靴音が自分の前を歩いていく。他人の靴音ではない。自分の靴音だ。坂を上るとき、私は自分の靴音が自分を追い越して、前のほうで鳴っている錯覚から抜けだすことができない。
そういえば、いつか、学校の授業中に先生が言った。視覚より聴覚のほうが尊いんです、格が上。神さまにキコシメスって言うでしょう?  と。真面目な私はそれ以来、目に見えるものより聞こえるもののほうが大事に思えてきた。自分の発する音が自分という「本体」から分離して、坂を上るときには前のほうに行ってしまっているのはそのせいかもしれない。

☆ ☆

駅までの道を
靴音響かせて歩く
上り坂のまっすぐな道
車が沢山通っている
人々が行き交っている

駅までの道は
にぎやかな道
それでいて孤独な道

駅までの道は
繰り返す道
日常の上を
通り過ぎようとする道

駅までの道は
妄想の道
いけないことが
浮かんでは燃え上がる道

駅までの道は
雨が降ると
傘が行き交う道
大事な事をしにいく道

駅までの道に
抱きしめられる
駅からの道で
そっぽを向かれた後に
駅までの道は
たしなめてくる

駅までの道は
昨日までとは違う道
駅までの道は
昨日とすこしも変わらない道

駅までの道は
永久に世間話をする
駅までの道が
冷たい手で握手を求めてくる

駅までの道は
もう通わない道
二度と歩かない道
二度と振り向かない道
帰り道と一緒に消えていく道