2013年11月4日月曜日

いま死のうとしているひとへ

いま死のうとしているひとへ
何が手渡せるだろうか
いや、比喩ではなく
(そう、)言葉でもなく
「それ」を手渡さなければならないのだ

いま死のうとしているひとを前にして
何が手渡せるだろうか
口ごもって、焦って……
何も手渡せない

では何か、できるだろうか
思い出話をして時間稼ぎをしながら
何が手配できるだろうか
何かできるだろうか

いま死のうとしているひとが
死んでしまったら
死んでしまったひとの思いや感覚は
もしかしたら「もっといい場所」に移って
楽に、軽くなるかも知れないのだ
(そんなことを、私も、考える)

いま死のうとしているひとは
それを知っていて、この世との未練を
少しずつ捨ててきたのだろうか
緻密な計画をやり遂げてきたのだろうか
(私が生きていく計画以上に…)

いま死のうとしているひとに
私は未練があり
私は常に周囲の様々なことを「世間人」のように感じようとし
そのことで安心を得てきたから
(だが安心というのは最もひとを退化させるから)

いま死のうとしているひとと私は
短いつきあいだが
どれほど多くのことを教えられただろう
私が生きも死にもしないうちに
いま死のうとしているひとは
生きて死んで
2つのことをなしとげるのだ

いま死のうとしているひとよ
私もいつかあなたの後を追って死にたい
そのときあなたはどこにいる?
私はそこを尋ね当てて
こんどは本当の生き方をしてみたいと
話すのだろうか

いいや
それは避けなければならない
それよりいまは
いま死のうとしているあなたに
あなたが好きなパパの抱擁を
届けなければ
そんなことが手配できたら
私があなたと巡り会った理由があったと
初めて思えるかもしれない

というより
あなたのことがなぜ私にとって
大事なのかを
私にその理由が必要なのかを
あなたには無意味でも
知るかもしれない

1 件のコメント:

  1. 中村ゆき子2013年11月4日 16:02

    今死のうとしている人にしてあげたいことは、
    今あなたがしてもらいたいことなのかな?

    今死のうとしている人になにができて、何を伝えられるかで、自分の存在価値、自分のことをどれだけ大事に思ってくれてるのか
    無意味でも確かめたい思いがあるのかな?

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