2012年5月3日木曜日

やくたたずの かれ

かれはなにももっていない
やくにたつものは
みんなひとにあげてしまった

やくにたたないものばかりをもっているかれは
やくたたずとよばれた

かれもまたじぶんをやくたたずとなのった
かれにみかたはいなかった
かれはやくたたずなうえに
あいきょうがなかったから
やさしさもおくびょうをかくすためだけにあったから

かれにはかみさまもいなかった
かみさまにしたねがいごとは
いつもたいていかなわなかったから

だがかれはぜつぼうということばをしらなかった
とおいむかししっていたようなきもするが
いまはまいにちがぜつぼうばかりだったから
そこがきじゅんでそれいじょうわるくならなかったから

かわりばえしないまいにちは
みかたによっては
しあわせにかんじられた

これがやくたたずのかれの
いまのじょうたいであるが
かれにあいたくなったら
かれのぶろぐをけんさくしてみるといい
そこにはかれのぷろふぃーるとともに
やくにたたない詩が
まいにちのせられているだろうから

2012年5月2日水曜日

意志の人

僕というのは愛称です。名前ではありません。
僕が精神病になると喜ぶ人がいるので、僕は精神病になりません。
僕が不幸になるといい気分になってお祝いをする人がいるので、僕は不幸にはなりません。
僕が再起不能になるとほっとして枕を高くして眠る悪党がいるので、僕は再起不能になりません。


僕は深夜に部屋で考えています。思っています。
僕はなぜすべきことをしないのかと。
しなくていいことばかりをして、すぐにすべきことをなぜ先送りにするのかと。
僕はしなくていいことをすぐに止め、「すべきこと」に取り掛からなくてはならないだろう。
だが僕が「すべきこと」を始めたとき、僕の主人は「すべきこと」になり、体はすべて乗っ取られるだろう。
その時いままでの僕はどこに行ってしまうのだろう。
それが怖いからなのか、それとも別に理由があるのか、その答えを僕はまだ知らない。求めるすべも分かっていない。


僕は際限なく食べ物を食べる。一日に何度も、深夜でも朝でも。
時間帯と回数は関係なく。食べたいものがあってもなくても。
食べることでお腹を満たし、自分の体が自分の重しになって動けなくなるまで食べ続ける。
そして動けなくなったところで、それを無理やり動かして行動をはじめる。
すると意志の力が感情を上回り、僕は意志の人となっていく。
意志の人となった僕はドアを開けて外に出ていく。風を切って歩く。


意志の人は帰宅するとき、その意志はなくなっている。
僕は意志の人ではなく、ただの愛称であるただの僕となっている。
手には買ってきた食べ物が入った袋を持っている。
袋の中にはよそよそしい商品が生々しい食べ物に変化して入っている。
この食べ物はもうすぐ僕のなかに蓄積され重しに変化する。
重しは僕が意志の人になるために必要だが、意志の人になる効用はまだわかっていない。

2012年5月1日火曜日

おまけとして言うと

きのう昼ドトールで200円のアイスコーヒーを飲んだ。夕方、560円のアイスコーヒーを飲んだ。そのあと、夜、120円のアイスコーヒーをコンビニのイートインのコーナーで飲んだ。きょうは、いま、340円のアイスコーヒーをのんでいる。190円のアイスコーヒーはサンマルクカフェ、200円のアイスコーヒーはドトールで飲むことができる。Macなら120円。一時期はチケットショップに25円から50円でMacのコーヒーチケットがあった。先週の関西出張では、ベローチェ、スターバックス、丸福、マエダ、上島、その他(名前は忘れたが)のカフェで、アイスコーヒーを飲んだ。日本の色々な地域、世界の都市(北京、ニューヨーク、ロンドン、ベネチア、ミュンヘン、トロムソ、パリ、オスロ、ボローニャ、フィレンツェ、バンクーバー、バンコク、台北、大連、グアム、サイパン、ハワイ、スロバキア、モスクワ、ミラノ)で、アイスコーヒーを飲んだ。アイスコーヒーと砂糖とミルク、ストローは仲良しだ。おまけとして言うと、アイスコーヒーは私とも仲良しだ。

2012年4月30日月曜日

夜眠る方法 の習作

たとえば目を瞑ると見えてくる森の中の一本の木は
高度な生命装置であると言ってよい
葉脈が張り巡らされているその様は
幼児の絵のようにいびつで自由奔放だが
きちんと葉は葉として生き永らえ
その与えられた役割を果たしたのちに
枯れて地面に落ち次の生命を育む要素となっていく

どこからどこまでが自分の生命と言えるのか
その疑問を差し挟む暇もなく
生き物たちは生きて死に
他者の生に命を混じえ響き合い歩をすすめる

一枚の葉と葉脈
今はただ母なる木の一部として
陽の光を受け風に湿気を発している
雨の日には雨粒を受け止め
風が吹けば身を翻してささやきを伝える

人である私は木の傍らを過ぎ去り
いつか木のことを頭の中に思い浮かべては
その美しさの訳をこねくり回す

木より粘土に近い私は
地面の近くで泥と一体となって
やや明るすぎる夜を眠る
体の中にある眼を見開くことはせず

2012年4月29日日曜日

心を容れる器をください

心を容れる器をくださいって言ったら
〈心が器でしょ。器を器に容れるの?〉
と言われてしまった。それでちょっと沈黙してしまったんだ。
彼女は器をくれる代わりに彼女が焼いたパンを出してくれた。そのパンの美味しいのなんのって。何もつけなくても、小麦と炎の香りがして、幸せな気分になってしまった。
そして彼女は唐突に音楽をかけた。心地よい音量で。左右のスピーカーから違う音が聴こえてきて、私はその場からどこかに飛んでいっでしまいそうになった。
私は、でもやはり、心を容れる器が欲しいと望んでいた。

私ごとでもいいから、器にいれて、タンスの上のほうにでも、しまってくれないか。

クラシカルなモダンなロマンチックなロハス風

彼女は立っていました 第二草稿

傘をさすほどの雨ではありませんでした
さびしさを胸に詰めて
彼女は用もないのに
人ごみの中に立っていました

お遊戯の踊りをするみたいに
時々体をひねり
控えめなステップを踏みました

女友だちたちは
いまごろどこで遊んでいることでしょう
満たされないと悟った彼女は
ここに立っていることにしたのです

誰かが声をかけてくることもあるでしょう
いかがわしいところに連れて行かまうかもしれません

でも彼女は気にしない
気にできない
彼女はただ立っていることに 全力だから
なぜ立っているのか
分からないから

夕闇が夜の空気を連れてきて
彼女のさびしさは
胸をはちきれさせます
そのせいで
息が苦しいけれど
まだ彼女は立っています

彼女が去ったあと
その場所には
今度は彼女の胸から
溢れ出したさびしさが立っています
次に立つ人を
選別するために
眼差しを路上に投げかけて

2012年4月28日土曜日

彼女は立っていました

傘をさすほどの雨ではありませんでした
さびしさを胸に詰めて
彼女は用もないのに
人ごみの中に立っていました

お遊戯の踊りをするみたいに
時々体を揺らしてひねり
控えめなステップを踏みました

女友だちたちは
いまごろどこで遊んでいることでしょう
満たされないと悟った彼女は
ここに立っていることにしたのです

誰かが声をかけてくることもあるでしょう
いかがわしいところに連れて行こうとする人もいるでしょう
でも彼女は
ついて行きません

彼女はただ立っていることに
全力だから
なぜ立っているのか
分からないから

夕闇が夜の空気を連れてきて
彼女のさびしさは
胸をはちきれさせて
そのせいで
息が苦しいけれど
まだ
彼女は
立っています

彼女が去ったあと
その場所には
今度は彼女の胸から
溢れ出たさびしさが立っています
次に立つ人を
選別するために
眼差しを路上に投げかけて

きょうの当番

当番の猫が帰ってきた
すこし濡れているようにみえる
天気予報に反して
雨が降ったのだろうか
声を掛けたい気持ちをおさえて
わたしは部屋に籠る

にゃああ
鳴いているのはわたしだ

2012年4月27日金曜日

2012.4.27

当番の猫が帰ってきた
すこし濡れているようにみえる
天気予報に反して
雨が降ったのだろうか
声を掛けたい気持ちをおさえて
わたしは部屋に籠る
ああ