2011年4月25日月曜日

彼は朝立っていった

彼は朝
立っていった

彼女は
立っていった彼を
包み込み
やさしさで満たす存在だった

彼は
出ていった
それから
立っていった

立っていってから
彼女は
彼を追っていった

彼は
追い抜かれる心配でいっぱいだった
胸がいっぱいだった

彼女は追い抜かず
すこし
あとからいった

彼は彼女に
いった
愛してると
すきだと

彼女も彼が好きだった
だから彼にいった
いかないでと

いくなら
一緒にいこうと

だが
彼は
朝立って
いった

それが
彼のいいところだわ

彼女は思った

2011年4月24日日曜日

ソナチネの木

ソナチネの木というのが
この世のどこに
あるだろうか

その枝には
解説されていない
いくつもの物語が
葉のように茂っている

葉のように
というのは
どれも
木の枝に付くのに
ちょうどいい大きさだから

それゆえ
どこからか風が吹いてきても
軽く受け流して
ただちょっと揺れたり
震えたりするだけなのだ

もっとも古い葉は
もう千年以上も前に生まれ
そこに付いているという

ソナチネの木にも
季節というものはやってくる
やってきては
過ぎてゆく

季節変わりに
物語の葉たちはその様相を変える

ぐんとおおきくなるもの
誰かに摘み取られてしまうもの
誰かの解説にあずかって消え去るもの
季節とともに旅立っていくものたちがいるからだ

ソナチネの木が
いつからそこにあるのかは
だれも知らない
いつ生まれたのか
どうやってそこに運ばれたのか

いや
その木の存在さえ
見ることができない者さえいる

だが
ソナチネの木は
いまも
多くの葉をたたえ
日々小さな変化をしていく

4月も終わりに差し掛かったいま
夏に向けて
その葉を青々と空にかかげている



2011年4月7日
岸田衿子さんの詩の永遠と
魂の冥福を祈り

2011年4月23日土曜日

雨の日の詩

23時36分
パソコンの前

外で
雨の音がしている

手元で
キーボードのキーの音がしている

モニターに
「詩に愛はあるか☆未来創作」というタイトルが表示されており
その下の白地のウインドウに
迷いがちに文字が表示され
文字の下に点線のアンダーラインが現れては消えていく
(消すためには変換候補のある箇所は
一旦青い地が背景に現れ文字は白色となる)

その様子を見ながら
私は
さっきから消去してしまった
いくつもの書きかけの詩のことを
考えている

きょうは特に多くの詩を消去した

消去された詩の中には
きょうは頭の中から消去したい『あなた』のことが記されている
(消去したのだが、むしろ『あなた』のことばかりが
また言葉になって出てこようとする)

『あなた』のことは書かないぞ
←もう書いているじゃないか
消してやる
←脅してる

話題をかえよう
「それはさておき」と言えばなんとかなるものだと
芝居のセリフで聞いたことがある

それはさておき。


きょうは雨が降っている
夕方は天気雨だった

傘をささずに
バス停まで歩いて行くと
ポケットにメールが届いた

『あなた』からだ

それはさておき。


桜は散ってしまった

お好み焼きが
うまく焼けない
それは
私が言いたいことだった

雨の中で
愛を呼び寄せるため


それはさておき

詩なんか
書いていられない

2011年4月22日金曜日

どうしたの?

考えごとをしようと
きょうも波打ち際にきてみたが
海は何も教えてくれない

木製のデッキの階段にこしかけて
砂浜と海をみる
大きな雲が
ゆっくりながされている

私もながされているのだろう

コンビニで買った
ドリップコーヒーのカップは
もう空だ

私のこと
誰も見ていない

私だけ。



いなくなった人が
どこかにいるような気がしてくる

ドアを開けて
帰ってくるだろう

どうしたの?
と怪訝そうに訊ねて

2011年4月21日木曜日

空の渚に

ドカンがドカンと響いた
夜間に
きみというあなたがやって来た
きみというのはあなたの名前だ

あなたは
わたしの
穴の空いたタオルをみて
穴の空いていないタワシをわたしに渡した

わたしはタワシを
タオルの穴からすかしてみてみた
すると
タオルに空いた穴が
あながち悪いものではないことがわかり
代わりにまっさらなタオルを買うのは罪ぶかいことのように
思われてきた

きみはわたしにタワシの話しをし始めた

わたしは仕方なくその話を聞いていたが
その話は長くそのうち飽きてしまったので
いつの間にか眠ってしまった

またもやドカンがドカンと響いた
きみというあなたは帰っていった
タワシもどこかへ行ってしまったのか
みあたらない

ここには
もう誰もいないみたいだ
ただ
波が頭上で
波打っている

そのうち
凪もやってくるだろう
空の渚に

2011年4月20日水曜日

僕の服は潮の香りがする

僕の服は潮の香りがする

靴には砂粒が入っている
耳には波が砕ける音が残っている
防波堤で激しく砕ける波
物語の始まりのようで
終わりのような 砂浜の道

指にはカメラボデイの形が
背中にはあなたの視線を感じる気配が
コンビニで買ったコーヒーの苦さとその熱が
残っている

空には満月から1日たった月が
暗くなった海の手前に立つ
あなたの瞳のうえで光の点となっている

僕の服は潮の香りがする
あなたには
なにが残っているだろうか

2011年4月19日火曜日

ノープランながら応援に

さて、でかけよう
ノープランながら応援に

動きやすくて
ちょっと派手目な色をまとって
靴紐をキュッと結んで

雨にぬれてもヘッチャラっていう感じで
スタスタ歩いて

地下鉄を乗り換えて
人ごみの中を分け入って

むかし藪の中に宝物を探しに
行ったように

音楽を聞きながら
歩いて行こう

知り合いに出会えるかも
面白いことがあるかも

わくわくする気分を持って
お財布 落とさないように気をつけて

ノープランながら応援に
ノープランでもなんとかなるから
応援に行こう

そして
応援し終わったら
家に帰ろう

大きな都会の小さな部屋

終電があれば大丈夫
遅くなっても
あしたは
また ノープランでも

いいえ
明日は プランがあったわ
大事な約束が


(K・Mさんに)

2011年4月18日月曜日

マレーシアの風に吹かれて

マレーシアの風に吹かれて
新しい高層ビル群を見渡して

沈んで行くのは
夕日ではなく
私たちのほうだ

つぶやいいてみる

邪気を払うようだ、な

そう思ってみる

いつも自分が生きていると思っている街から
関係ないと思っていた街へ
マイルを使って
きてみると

そこにあったのは
自分の記憶していたものばかりだった

懐かしい、の、かな

そう思ってみる

高層ビルから
古い家が並ぶこの道まで
すべり台を設置して
来られないかな

楽しいだろうな
子供よりも
大人には

ボウリングの玉を
高層ビル群に向けて
なげるのもいいな

辺りから聴こえる歌を
応援代わりにして

東京よ
何か忘れていないかい

わたしは
マレーシアの風に吹かれて
ちょっと気分がいい

マレーシアの風、なんて
大雑把ないいかただが
これでいい、のだ

そう思ってみる

2011年4月17日日曜日

なんだかわからないけど書きたかったもの


普段は鈍感でもいい
チャンスは一度しか来ないから
その時に力が発揮できればいい
勇気を出して全身全霊で挑戦だ

チャンスを勝ちとったら
自信が湧いてくる
冷静にやるべきことをやっていけば
すべてはよくなっていくだろう


自分のことが嫌いなら
嫌いな自分のために頑張れるはずがない
好きなところを見つけて
そこだけを見つめてあげればいい

好きなことを続けてもなかなか芽が出ない
焦ることはない
世間にない自分に合う方法が見つかるまで
あきらめてはいけない


大きな失敗をしてもいい
もっと大きな失敗が来るかも知れない
人間なんてそんなモノだ
経験済みの先輩が参考になる

失敗したら取り繕わずに
真実の姿を見なければならない
しかしそれにとらわれずに
新しい自分を作っていくのだ


締切りが来たら提出しなければならない
このルールは案外役に立つ
中途半端な自分を許す言い訳にもなる
集中力を高め必死になるための指揮官にもなる

提出した後で提出したもののことを考えるのは
無意味なこともあるが役に立つこともある
しばらくしてから反省すれば客観的な評価ができる
新しいアイディアをそこに見つけることも珍しくはない


作者独白 

いままでずっと日記のように詩を書いてきて、とても勉強になりました。
飽きっぽい自分は、一つの書き方では飽きたらずに、いろいろな方法で書くことを開発できたからです。
また、過去のものを読み返すことで、自分の癖や自分らしさを確認することもできました。(自分らしさは、もちろん肯定できるものばかりではありませんでしたが。)
毎日書くということから新たに編み出された、詩を書くための「発想法」のようなものも、一つや二つではありません。詩を書くとこの効用も副産物として実感できました。
最近、震災によるいままでの社会体制への疑念の潮流から、詩人・アーティストなどの表現者が、日本の社会でなにができるか、自分も書きながら考えることとなりました。そのなかでは、詩の実用性や機能について、簡単にいえは「詩の力」について、どう強化していくかということが避けられないテーマでした。
以前から詩と詩のメディアについて自分なりの理想や野望を持ち、投稿メディアや場をつくってきた自分は、やはり、こうしなければという思いが、段々確かになってきました。
これは感想に過ぎませんが、そんな気持ちを少しでも具現化していければと思っています。

2011年4月16日土曜日

君のTwitterに返事したいのだが

みんなが集まってチャリティをやっている
楽しみながら
社会貢献をしようとする集い
その輪から
弾かれて
節電モードの駅に入り
電車を乗り継いで家に逃げ帰る

弾かれたのは何?

この間まで
作ってきた街のオプションが
停止している
いくらお金をつぎ込んだことか

そのお金はもちろん帰ってこない
こんなものつくらなければよかった

明るすぎる街の姿を思い出す
レクイエムのようにテレビの音が流れている

才能ある若者が
暗い通路の影で
一生懸命
誰かと話している

ジェスチャーしたりして
笑顔を浮かべたりして

その脇を通りすぎていくのは
どこかの詩人が書いた時代の文脈ってやつかな

ぼくは手のひらの小さな画面を覗き込み
指で触れる
こんなこと
一日何回繰り返しているのだろう

そう頭の中で思った
何回も思った

これも
何回目だろう