バスに乗って走っています
走っているバスの中にいます
夕日がバスに差し込んで来ます
バスの窓から夕日の光が入って来て私はそれを見ます
バスには何人かの乗客がいますが
私の他に夕日の光を見ている人はいるのでしょうか
夕日の光は見えていて見えていないことがあります
見えていることの方が少ないと私は思います
そこに昔見た夕日の光が混じり
その眩しい光のなかに
私の好きな人が私の好きな表情と格好でたっています
私は話しかけたいと思いましたが
バスが強烈にガタガタとゆれ
何人かの乗客も不覚にも一緒に飛び跳ねています
そんな状況のせいか
夕日の光のなかにいる私ねか好きな人も
ただ周りが少しでも静かになり
私が声をかけられる時がくるのを待っていてくれています
いや
待っていてくれているというのは
私が想像しただけのことです
このバスには衝撃を吸収する効果的な部品が入っていないようです
ばすは円明園にさしかかりました
三年前の12月に一人でやって来て
凍った池と西洋建築の遺跡を見歩きました
9月初旬の天気は穏やかで涼しく
冬支度をする余裕を与えてくれます
夕日は惜しみなくまだ車内に光をいれてきます
惜しみなくやっていきたいものだ
大きな声でしゃべりなさいと
あの詩人は教えてくれた
夕日を見ていると光と混ざって心が、身体と俗世間から離脱していくようで、少し離れた所から自分を見下ろす事ができ、ちっぽけな事などどうでいい気がする。
返信削除大きい声でしゃべると言うことは、自分自身に自信をもつということ、そしてその言葉に説得力を持たせることになり
やがて劇的な言葉を生み出すのだと思う。