2013年1月1日火曜日

道具の時代

この世には
使い切れないほど多くの種類の道具が
あふれている

それだけでも悩みの種であるのは間違いないのだが
道具同士を組み合わせるとまた別の種類の道具が
できてしまうことがある
道具類は無限への道を歩んでいるといえる

世界は道具で溢れかえり
いきおい私たちは道具に使われ生きていくことになる
すでに一人の生きる道具となって生きているのだ
そのことは道具界をさらに混乱におとしめる
人と道具とのの区別ははどこにあるのか
傍観者たちは答えのない話題で盛り上がる

そして人は人生の暮れ方に
たとえば俳句などを詠んで悦に入ったりするが
17音の組み合わせを自由に操ったと信じることで
自らを慰めているのだろうか
しかしそれが何の解決になるというのか

道具は効率の悪さを解決してくれるというのに
人は非効率の生産に追いつかない
いきおいあまって自分たち自身を効率化してしまったりもする

道具の暴走をもはや誰も止められない
取り締まる側にいた信号機でさえ
いまや効率化の手助けをしている

道具たちは平気で何でも買収する
あの手この手奥の手を使い

かつて地上に君臨した人類の神も
時計のデジタル表示に十万分の一の単位で刻まれてしまい
結果 人はアナログに推し量ることができなくなり
存在の本質が風前の灯となっている

せめてふる里の床の間で
ひび割れ始めた鏡餅を不器用に開くとき
予想不能な大事件を起こしてくださいお母さん

1 件のコメント:

  1. 中村ゆき子2013年1月2日 1:54

    何もなかった時代でも不自由ではなかったように思う。
    今の時代は、時間に追いかけられているからどんどん道具は増え、人は何が必要かそうでないかの取捨選択と見極める能力が奪われていっている。
    ただ道具を使うのも作るのも人間。一つの物が幾つもの役割を果たすのも知っているくせに元に戻ろうとしない。みんな取り残されたくないから。
    道具がもし無くなったらどうするんだろう?
    ひび割れの鏡餅、もう素手でお母さんにわってもらうしかないな。

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