椅子はただ椅子だった
小学校の椅子
駅のホームの椅子
野球場の椅子
自分の部屋の椅子
家のソファー
教会の長椅子
公園のベンチ
マクドナルドの椅子
縁側のロッキングチェア
どの椅子もただ
私の前で
椅子であるだけだった
私は
座り心地などは気に留めずに
ただ無心に椅子に座っていた
いま
思い出すと
いろんな座り心地があった
大人になってから
座り心地を気にするようになって
おのずと自分の心地のいい居場所に向かった
ものの価値やディティールが分かるようになったのだろうか
いや
ものの価値やディティールが分からなくなったのだ
心地のいいクッションに邪魔されて
木の硬さも自分の罪深い重さも
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