2013年6月5日水曜日

女の時間


それは霊障(れいしょう)ですわ と
煤(すす)けた女が神妙な顔で言った

最も苦手とするタイプであることが
相手にも悟られていることだろう

その明白なバレバレの状態が
なんともはしたなく感じられ
彼は冷笑して後ずさりするしかなかった

「霊障に冷笑か」

笑えない駄洒落を彼は口ごもり
煤けた女のまえで
成り行きを見守るしかなかった

タイミングよく
鳶が ピヨールルーン
と啼いて合いの手を入れた

今始まったばかりの
この対話
彼にとっての最も長い日となるだろう

女との出会いにピンを売って
黄色い糸で同心円を描く
私の時間

それはまた不幸にも女の時間でもあるのだ

2013年6月4日火曜日

冷たい何かを舐めながら


オフィスには半分ほどの従業員が残っていた
きょうはベースの照明を点けない日なので
夕日のオレンジ色の強い光線が開け放たれたブラインドの向こうから
遠慮なく差し込み
フロアは雑然とした影絵の世界となっている

白い薄手のブラウスを着た女子社員Kの胸は
ブラジャーのレース模様のふくらみまで
透かして夕日と反対側に影まで作っている
そわそわした男子社員は横目でそれを盗み見て
ごくりと喉の音を立てた

セクションの長の女性は
高学歴の才媛だがまっとうな恋人が作れず
妻子持ちの取締役部長の影の女を務めている
それは公然の秘密というのだと誰かから聞いたが
彼女自身はもう誰かに知られても仕方ないと思っている

新卒で入社し4年目を迎えたR嬢は
この4年間で5人の男子社員と関係を持ったが
喫煙室でそのうちの何人かと偶然一緒になると
その度に
何人もの男に求められてセックスする妄想を巡らせ
秘かにエクスタシーを覚えている

夕日はやがてくれてゆき
それぞれの机の上にデスクライトのLEDの冷たい光と
モニターの画面が輝き始める

私にはそれが不吉なものに見えてしまう
例えば死者たちをあやつり
この世を滅ぼす指令を映し出す光に
あるいは
世の人の心をかき乱し野獣へと変身させる光に

私は冷たい滑らかな何かを舐めながら
舌先でそう思う

2013年6月3日月曜日

この世に「奇跡」というものがあることを
忘れて暮らしていた
いや
たまに机の引き出しの奥から
いつか好きな人に貰った大事なプレゼントを取り出すように
そのことを思ってみたりしたことはあったけれど

だか
奇跡は
自分の日常とは無関係だと
いつの間にか思い込んでいた
そうするしかなかったから
私には過酷な暮らしの日々が訪れては消えて行ったから
そこには奇跡は気配さえ現わさなかったから

しかしその日
ハンバーガー屋で安いコーヒーを飲みながら
久しぶりに普段考えないことを考え
普段思わないことを思い描いている自分にハッと気づくと
隣にもう忘れていたリアルな奇跡の顔があった
奇跡は 久しぶり! と言わんばかりに私を見ていた
私は焦り奇跡のことを思い出そうとしたが
脳みそをフル回転すると同時に
奇跡のことを思い出した

2013年6月2日日曜日

体育館前にはスピーカーが設置されていない
手抜き工事のせいだ
体育着を着た男子小学生が5人いる
こちらからは見えているが
彼らにはこちらが見えない

旧校舎の中には
危険がいっぱいあるが
誰もそのことには気づかない

逃げなければならないと
私は知っているが

2013年6月1日土曜日

追いかける私


私の視界は
目の形に切り取られているのかな

前髪が空の上にある

私は
私の形に空気を切って
あなたがいる場所へと移動してゆく

あなたは私の心をみて
曇っているね と言う

私は
聴覚の可聴域を微妙に変化させながら
あなたの声を経験と照合し
何が言いたいのかを類推する

その間
瞬きを多めにする

あなたは私の応答を聴かずに
体重を移動させ前へと歩き始める

私は涙腺を若干開いて
瞳の渇きを癒し
あなたの後を追いかける

2013年5月31日金曜日

囚人列車は私だけをのせて


坂道の途中
石垣の割れ目に根を張って咲いている白い花
きみは私より
清くたくましい

私はきみの横を通り過ぎて
言い訳をしにいく

わずかな給料の余力を使い果たして手に入れた
言い訳に添えるお詫びの品を脇に抱えて

電車とバスと徒歩で1時間
休日の太陽を背中に受けて
背中を丸めて歩いていく

私はなんて小さい人間なんだ
電車のつり革に手錠をかけられ
囚人列車は私だけをのせて
トンネルに入っていく




2013年5月30日木曜日

女三人 それはだれ?


もんもんもんもん もんもんもん
空がふやけた 霧雨だ

もんもんもんもん もんもももん
女三人旅に出た

もんもももんもん もももんもん
へのへのもへじが笑ってる

ろんろんろんろん ろんろろろ
ろろろろろんろろ 誰ですか

ろんろろろんろん ろろんろろん
ろろろろろろろ ももんがです

2013年5月29日水曜日

愛について


あなたが病んでいる時
私はその重さと釣り合う雲

あなたは長閑な雲の様を眺めて
ふと足を止め
深呼吸をしてみたくなる

私が痛みに耐えている時
あなたはそれを打ち消すリズム

私は歌いながら体を揺すり
痛みの鼓動を逆手に取って
快楽に変える

あなたが悲しい時
私は空の器

あなたは私に何も期待しないまま
私の言葉を受け入れ
信じもしないまま
言葉のベッドで眠ってしまう

空には星が瞬き
地には心地よい夜の闇が
訪れているだろう


2013年5月28日火曜日

ナポリタンとサイダー

学食にはいつも幽霊がたむろしている
昼飯時の混み合う時間帯には
生きている人間と死んでいる人間がダブって存在しごった返してしまうので
なにかの〈るつぼ〉となっているが
先ほどから彼が何の〈るつぼ〉か
的確な言葉を思い出そうとしているがいっこうに思いだせない
     その間にも
     詩は進行する
     いつか言い表したあの言葉!
行ったり来たり
行ったり来たり
である

飛行機が遅れたため
東京からこの大阪の大学にやって来る電車の車中で
彼には既に目的の四分の一が達成できないことが分かっていた

それで少し焦ってはいた
大学のある駅で降りると
駅の出口は大学からは一番遠い位置に位置していたので
さらに彼は駅の出口から一番遠い車輌に乗っていたので
     最悪だ〜! と
我が身の不幸を嘆かずにはいられず
だからつい足早に投げやりに歩き始めた

十四(しいすう)という名の駅にあるその大学の学食は地下にあり
二階までの吹き抜けの構造になっている
食堂の周囲には内階段から繋がる渡り廊下があり
さらに螺旋階段を通じで二階の廊下に繋がっていた

彼はエレベーターホールから学食へ行くエレベーターに乗ろうとしていたが
何階に行けばいいのか分からず混乱していた
いくら考えても分からない
答えが見出せない
そのうち上へ行くエレベーターがやってきて
彼は乗り込みB1ボタンを押した

エレベーターから降りると
そこは学食より1メートルほど下の床だったので
五段分の半端な階段を上り
上り過ぎたので一段下がり
奥のカウンターに近づいていった

ナポリタンとサイダー

おそらくこれが
きょう彼が初めて人間に発した言葉だった

そして
その声はいつまでも木霊していた
まるで彼を責めるように
まるで彼を愛するように

夕方の学食で
彼がいなくなった後
幽霊たちがお酒をチビチビやりながら
その彼の声を繰り返し歌っていた

ナポリタンとサイダー
ナポリタンとサイダー

2013年5月27日月曜日

初心者として


死者が来て
するめを炙っている
そのよこで
柱時計が時を刻んでいる

カチ カチ カチ カチ ・・・

時を刻む音が
板張りの床に響くたびに
心臓はリズムを乱されそうになる

お隣さんで赤児がなきだした
ラジオからは流行り歌
たぶん間違えずに律儀に歌い終えてくれるだろう

私は目を閉じて
あなたとのことを考えていたが
いろんなことが入れ替わり立ち替わり心を占領しようとするので
ついにあきらめて放っておくことにした

いつものことだ
日が暮れて暗くなり
公務員が帰路につく
あるいは酔って飲み屋のはしごに出かける

きょうという日は
はじめてのことだ

毎日その日を初心者として
生きなければならない
私は声を上げ
おどけて助けを呼ぶしかないだろう
死んだあの人に