バスに乗って走っています
走っているバスの中にいます
夕日がバスに差し込んで来ます
バスの窓から夕日の光が入って来て私はそれを見ます
バスには何人かの乗客がいますが
私の他に夕日の光を見ている人はいるのでしょうか
夕日の光は見えていて見えていないことがあります
見えていることの方が少ないと私は思います
そこに昔見た夕日の光が混じり
その眩しい光のなかに
私の好きな人が私の好きな表情と格好でたっています
私は話しかけたいと思いましたが
バスが強烈にガタガタとゆれ
何人かの乗客も不覚にも一緒に飛び跳ねています
そんな状況のせいか
夕日の光のなかにいる私ねか好きな人も
ただ周りが少しでも静かになり
私が声をかけられる時がくるのを待っていてくれています
いや
待っていてくれているというのは
私が想像しただけのことです
このバスには衝撃を吸収する効果的な部品が入っていないようです
ばすは円明園にさしかかりました
三年前の12月に一人でやって来て
凍った池と西洋建築の遺跡を見歩きました
9月初旬の天気は穏やかで涼しく
冬支度をする余裕を与えてくれます
夕日は惜しみなくまだ車内に光をいれてきます
惜しみなくやっていきたいものだ
大きな声でしゃべりなさいと
あの詩人は教えてくれた
2013年9月6日金曜日
2013年9月5日木曜日
それは問題ではありません
まず鉛筆で下書きします
定規をあててまっすぐ書きます
息を止めて書きます
それからなぞって書きましょう
うまくかけましたか
あなたがなぞった
あなたのもの
誰かがお手本にして
書くでしょうか
書かないでしょうか
いまは誰にも分かりません
あなたにもたぶん
分からないでしょう
それは問題ではありません
それは問題ではありません
定規をあててまっすぐ書きます
息を止めて書きます
それからなぞって書きましょう
うまくかけましたか
あなたがなぞった
あなたのもの
誰かがお手本にして
書くでしょうか
書かないでしょうか
いまは誰にも分かりません
あなたにもたぶん
分からないでしょう
それは問題ではありません
それは問題ではありません
2013年9月4日水曜日
祭りの思い
祭りが西の方からやってくる
夕日が沈むまちからまちを
笛を吹きながら
渡り歩いているのだ
決まってだれかが太鼓を
たたきはじめる
するちう踊り歌う者たちも現れる
中には愛を交歓し始める者も
露店がたち
人々が群がり始めた頃
祭りはご満悦
瞼の裏に懐かしい子どもの頃の思い出を映し出す
そうして楽しい夜を過ごしていつの間にか眠ると
翌朝は早起きしてもう立ち去ってしまうのだ
祭りが去ったあと
祭りは立ち去ったまちのことを
しばし忘れている
しかしだれかが祭りに思い出話をすれば
祭りはその都度思い出す
悲しいことが何処かに隠れていたことも
その時始めて意識して
夕日が沈むまちからまちを
笛を吹きながら
渡り歩いているのだ
決まってだれかが太鼓を
たたきはじめる
するちう踊り歌う者たちも現れる
中には愛を交歓し始める者も
露店がたち
人々が群がり始めた頃
祭りはご満悦
瞼の裏に懐かしい子どもの頃の思い出を映し出す
そうして楽しい夜を過ごしていつの間にか眠ると
翌朝は早起きしてもう立ち去ってしまうのだ
祭りが去ったあと
祭りは立ち去ったまちのことを
しばし忘れている
しかしだれかが祭りに思い出話をすれば
祭りはその都度思い出す
悲しいことが何処かに隠れていたことも
その時始めて意識して
2013年9月3日火曜日
2013年9月2日月曜日
主観の代名詞のような
主観の代名詞のような詩がある
そのような詩は
一つの語句としては長すぎるし
中身がないのに重たすぎる
主観の代名詞のように生きたいと
願う私は
世間にいるために
なにが必要であるのかを
知りたいと願うが
知られる訳がない
客観の主語が
攻め入り私を追いやったとき
それでも私は
敵陣に時折顔を出す
そのような詩は
一つの語句としては長すぎるし
中身がないのに重たすぎる
主観の代名詞のように生きたいと
願う私は
世間にいるために
なにが必要であるのかを
知りたいと願うが
知られる訳がない
客観の主語が
攻め入り私を追いやったとき
それでも私は
敵陣に時折顔を出す
2013年9月1日日曜日
いいことばかり
いいことをかんがえる
いいひとになりたいから
いいおもいをしつづけたいから
わるいことはすぐにわすれて
わるあがきはせず
いつもいいことをさがしている
いいことだらけでいたいから
いいことづくめになるように
つごうのいいひとをわたりあるいて
わるいことはさけつづけ
わるものたいじはひとにまかせて
いいひとほめてほめかえされる
いいとはなんていいのだろう
いいよのなかにいきてゆく
いいわたくしはいいますとも
いいよりいいことありません
いいひとになりたいから
いいおもいをしつづけたいから
わるいことはすぐにわすれて
わるあがきはせず
いつもいいことをさがしている
いいことだらけでいたいから
いいことづくめになるように
つごうのいいひとをわたりあるいて
わるいことはさけつづけ
わるものたいじはひとにまかせて
いいひとほめてほめかえされる
いいとはなんていいのだろう
いいよのなかにいきてゆく
いいわたくしはいいますとも
いいよりいいことありません
2013年8月31日土曜日
あるく
あるく
みちを
ろうかを
かいだんを
エレベーターを
えきを
ひこうじょうを
スーパーを
がっこうを
じぶんのへやのカーペットのうえを
のはらを
すなはまを
おかのさかみちを
びょういんへむかうせまいほどうを
ねこのうしろから
むかいがわのひとときょうそうしながら
ながいかみのひとのシャンプーのかおりのあとについて
あらまるためのささやかなおくりものをかかえて
あるく
おいかけてくるつきをよこめに
もれてくるラジオのおとをみみにして
ふるいことをいきなりおもいだしたりしながら
あるく
ふつうのきもちで
さびしいときも
わるいしらせをまだしらないときも
なにかのよかんがとぎれてしまったときも
ふだんどおりに
わざとほほえみながら
てをふってあしをあげて
くじけそうになっても
くじけなくても
あるく
いこくのまちを
だれかといっしょに
だれかがいっしょでなくても
きょうも
あるいている
いま
たちどまって
また
あるきだした
みちを
ろうかを
かいだんを
エレベーターを
えきを
ひこうじょうを
スーパーを
がっこうを
じぶんのへやのカーペットのうえを
のはらを
すなはまを
おかのさかみちを
びょういんへむかうせまいほどうを
ねこのうしろから
むかいがわのひとときょうそうしながら
ながいかみのひとのシャンプーのかおりのあとについて
あらまるためのささやかなおくりものをかかえて
あるく
おいかけてくるつきをよこめに
もれてくるラジオのおとをみみにして
ふるいことをいきなりおもいだしたりしながら
あるく
ふつうのきもちで
さびしいときも
わるいしらせをまだしらないときも
なにかのよかんがとぎれてしまったときも
ふだんどおりに
わざとほほえみながら
てをふってあしをあげて
くじけそうになっても
くじけなくても
あるく
いこくのまちを
だれかといっしょに
だれかがいっしょでなくても
きょうも
あるいている
いま
たちどまって
また
あるきだした
2013年8月30日金曜日
三流の私
超一流の
第一線で活躍しているひとの
そばにいても
自分が三流であれば
華やかな世界に足を踏み入れていても
三流であることが際だつだけ
綺麗なひととつきあっても
自分が醜ければ
鏡に映る姿に
写真のなかの自分の姿に
ぞっとするだけ
何を夢見ても
たとえその夢がかなっても
かなった夢が失われたら
夢を叶えているひとと仲良くしていても
自分の部屋のありさまをみて
さめざめと
肝を冷やすだけ
そこに救いはないけれど
救いがないことが唯一の救いか
そこから抜け出したい
か細い思いが
唯一自分をあたため
凍りつくのを防いでいるだけ
第一線で活躍しているひとの
そばにいても
自分が三流であれば
華やかな世界に足を踏み入れていても
三流であることが際だつだけ
綺麗なひととつきあっても
自分が醜ければ
鏡に映る姿に
写真のなかの自分の姿に
ぞっとするだけ
何を夢見ても
たとえその夢がかなっても
かなった夢が失われたら
夢を叶えているひとと仲良くしていても
自分の部屋のありさまをみて
さめざめと
肝を冷やすだけ
そこに救いはないけれど
救いがないことが唯一の救いか
そこから抜け出したい
か細い思いが
唯一自分をあたため
凍りつくのを防いでいるだけ
2013年8月29日木曜日
きょうで3年目が終了しました。4年目にはいります。
3年前の次の日。2010年8月30日。それまで世間との関わりを最小限にして生活してきたが、また、詩を書いて世間と繋がることにした。世間のうちの半分は自分という得体の知れない身近なやっかいものだ。
世間と繋がっていいものか。幾人かの知り合いは「名前を出さないほうがいい」と言った。また幾人かの知り合いは「気にせずどんどんやるべきだ」と言った。当時はそういうことさえ、難しい、重要な問題に思えた。
公開で、フィクションの詩日記を書くだけ。そういう「言い訳」を用意して、書きはじめた。なんて小さな、つまらない自分。読者は知り合い数人だった。
2013年8月29日。きょうでまるまる3年間続けたことになる。この3年間で、ずいぶん変化したこともあるし、変わらなかったこともある。過去の自分に戻ったこともある。一生懸命やったが、うまくいかなかったり、へこたれたり、ひねくれてひきこもったりした。丸3年なんて、とるに足らない価値かもしれない。だが今の自分にとっては、大事な勲章だ。(勲章なんて、いいものじゃないけれど)。
2008年、自ら創業した事業の経営破綻で、多くの人を傷つけてしまって以来、そのことにどう向き合ったらいいか、なにをしたらいいのか、いつも心の底で考えてきた。堂々巡りを繰り返す中、少しずつ冷静に、ディテールがみられるようになり、いまも発見することがおおい。
そんな中、毎日書き続けていると、詩に対する思いは強くなり、強くなるにつれ、問題意識も強くなっていった。詩を特別視している自分に、つぶしのきかない、異様な「弱さ」を感じるようになった。詩と自然にふれあい、自然の一部のように詩とつきあいたい。そういう思いが気持ちを満たしていった。それは、詩ではない、人間の心と深く関わりたい、という願いであると気づいた。
いま、私が抱えている問題は、どこでどのようなものに結実していくのだろうか。この場は、小さく、見えないほどか細く、隅っこにある存在だけど、役立つのではないかと感じている。答えはいつも「いま」のなかに「問い」の形であり、いつまでたっても答えが出せない予感が寄り添っているが、見てくださっている皆様と、人として生きるすばらしさを発見していけたらと思っている。
2013年8月29日
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