2014年1月29日水曜日

じぶんは ひとり

ともだちは
じぶんではありません

じぶんのなかに
ともだちが
いるようなきがしても
ともだちはじぶんではありません

ともだちのゆめをみても
ともだちのきもちがわかっても
ともだちとじぶんが
くっついてうでずもうしていても
ともだちとじぶんは
わかれている
べつべつのにんげんです

もし
ともだちと じぶんのからだが
いれかわって
こころが
そのことにきがつかなくても
じぶんはじぶんだけ
ひとりです

じぶんがひとりであることは
すてきなことです

ふたりがともだちであるのと
おなじくらい
すてきなことです

2014年1月28日火曜日

チョコレートを買いに

雪の日に
女のひとに手を引かれて
田舎道を
チョコレートを買いにいった
古い木枠の硝子の引き戸をあけて
店の中に入った

ストーブの灯が燃えている
薄暗い店内の平台に
赤い包みのチョコレートを見つけた

その包みの中に薄い銀紙に包まれた
チョコレートが入っていて
分け合って
指をなめなめ食べるのだ

そして雪の降る薄暗い道を
女のひとと一緒に
帰っていった

あの女のひとは
母だったのだろうか
あの田舎道は
いまもあるのだろうか

ドラッグストアの店頭で

安売りされているチョコレートに訊いてみたが
もちろん答えてくれない

母に訊いてみようか
いや
訊かない方がいいだろう

甘い謎は
そのまま取っておいたほうがいいに決まっているから







絵 中村ゆき子

2014年1月27日月曜日

小さなとりが

ぼくはだまっているのに
小さなとりが
ずっとなにかをはなしている

ぼくは心のなかで
ひとりごとをいっている・・・ことに
いま気がついた

だまってぼくはひとりごとをいっているのに
小さなとりは
声をだしてはなしている

ぼくは小さな声をだして
いってみた
ーーだれにはなしてるの?
なにをはなしてるの?

小さなとりはぼくを見て
くびをかしげた
でもまた
そっぼをむいて
なにかをはなしはじめた

ぼくはまつげをパタパタさせた
小さなとりはいきおいよく

空へと とびたった

2014年1月26日日曜日

ぼくの せんそう

せんそうがやってきた
うかれたひとはいなくなった
まちじゅうに
なんみんがあふれた
しんだひとは
だれかがつちにうめる

おおきなふろおけが
といれのかわり
こうみんかんは
なんみんのすみか

ぐんたいは
がいこくにでかけて
まもってくれないから
てきがやってくれば
ていこうせず
ころされるかもしれない

やきゅうじょうのフェンスのうらに
ひとがたむろしているのは
せめてくるものから
かくれたいからだ

まだ
そらからばくだんはふってきていない
ラジオもテレビもほうそうをやめたので
がいこくのほうそうを
きくしかない

よるはでんとうがともらないせいで
ほしがきれいだ

エアコンもとまっている
いろんなにおいがまざっている
ちょうへいされたひとも
いるという

ぼくはふつかのあいだ
なにもたべてない
もうそのことさえわすれそうだ

こっかはなくなってしまったようだ
みんなしょくばほうきして にげたのだ
ひとびとは
ただいきのびるだけのじょうたいとなっている
しをかいたり
うたをうたをうたっているひともいない
あんなに はやっていたスマホさえ
もうするひとを どこにもみることができない

ふろおけに
ちんぽをむけて
ちからをこめると
なんと おしっこは
いきおいよく
むこうのふちあたってしぶきをあげた

そういえば
ふつかぶりの
しょんべんだった

2014年1月25日土曜日

なまえ

ぼくはきょうからぼくでなくなる
だから
ぼくの おなまえさん
さらばだ さようなら!

おなまえさん
おもえばいつも
きみを やおもてにたててきた
いつからか
ぼくはきみのかげにかくれて
そのぶんへいおんに
すごしてきた

だがきみは
もんくひとついわず
ぼくをまもってくれた

きずついて あざだらけになり
ふくはやぶけ
くつも かたほうしかのこっていないのに

そこでぼくは けついして
きみをへやのなかにいれ やすませることにした
もういんきょしてもいい
というきもちだ

とはいっても
ネットはつながるし
メールやFaceTimeだってできるから
きみにふじゆうはないだろう

おなまえさん
どうかゆっくり ほねやすめして
ぼくをみまもっていてほしい

こんどは ぼくじしんが
やおもてにたって
じぶんじしんで
せいぎのために たたかうから

せいぎはかっこいいもんんじゃない って
だれかいってたな

かっこわるいのは
ぼくのもちあじだ

そして
ぼくはしぬとき
いちばんきれいな
ほしをおもおう
とほうもなくとおくにあるそのほしは
なまえもないが
うちゅうのどこかでかぼそくひかっている
だれかにみられているか なんてことは
もちろん きにせずに

いまぼくにはみえていない
その ほし

きみにも
みえないかもしれない
なまえのない ほし

2014年1月24日金曜日

まいにち ちがう

おもしろいこと あったなら
ひとにいわずに だまっとこう
しかし いいたく なるもんだ
それがにんじょう しかたない

おもしろいこと たのしんで
がまんできずに はなしちゃう
おとなはそれを やめろって
えらそうに すぐ めいれいだ

おもしろいこと やめたあと
わらいをこらえて ねむったら
きみょうな ゆめを みてしまい
おきたらぜんぶ わすれてた

おもしろいこと なんだっけ
おもいだそうと してる あさ
おもしろいこと やってきた
おならもしちゃった だまっとこう

2014年1月23日木曜日

ギ・モ・ン

泣いたら
 気が晴れた
笑ったら
 淋しくなった
おこったら
 悲しくなった
ゆるしたら
 笑いたくなった
わたしの
 ココロは
変じゃ
 ないですか?

2014年1月22日水曜日

無念な詩

ゆるしてね
ゆるゆるしてて
ゆらしてて

キスしてね
すきまをあけて
すきにして

ねむりましょう
魔性の胸に
無念な詩

2014年1月21日火曜日

詩人のコトバ

下の方で火がチロチロと燃えて
煤(すす)の匂いが立ち込めている
あの大火がまだ続いているのだ  ✴︎

消し止められたものだと思っていた
もう忘れ去られたのだと高を括っていた
だがあの人の哀しい願いごとのように
その火は
いつまでも消え去ることはなかった

あの人は白黒写真のなかで笑っている
時代が繊細な色模様に彩られ
ノイズさえ音楽になったとき
あの人の叫び声は
人々が気づかぬ時に蒼空の彼方から
空に吊るされた高い高いブランコのように
やってきてはまた彼方目指して消えていった

それでも
時代の漆喰の壁に打ち付けられた〈?〉の形のねじ釘は
夕日にただあやしく光って
コトバでないものを語りかけてくる

その問いに私は頷いて
やはり
答えのコトバをもつことはなかった

——吉野弘さんを追悼して



✴︎酒田大火(さかた たいか)。1976年(昭和51年)10月29日に、吉野弘さんの郷里である山形県酒田市で発生した。

2014年1月20日月曜日

満月の次は?

君が向かう方向に
未来とやらが待ち構えているのか

待ち構えているものだから
すでに過去だといま君が言った

済んだことは全て過去にながれさるのか
いま思い出した過去は未来のビジョンだが

明日考える今日と3年後に考える昨日は
いまの私からどちらが近いのか

アラームのスイッチをいれ
予定を確認して
夢を見に螺旋階段を満月の方向へ上ってゆく