2010年9月30日木曜日

天秤座の彼女

天秤座の彼女は いつも
カレシとモトカレを
天秤にかけているという

地球から20光年のところに
地球とよく似た星が 見つかったという
その星は天秤座の中にあるらしい

いっしょに蠍座のところにいた
僕の彼女は
いま別の星座に近づいているらしい

天秤座の彼女は
双子座の双子のカレシの
区別がつかなくて やけになっているらしい

これらのことは B型の友達が教えてくれた
うそつきの友達が これはマジ ホントなんだけど と
語ってくれたのだそうだ

2010年9月29日水曜日

行きずり

きみは行きずりのひと

何度も待ち合わせして
手も繋いでみたけれど
河原で短いかけっこもしたけれど
ベッドでに沈みながら未来の話もしたけれど

きみと僕のあいだには
何かが挟まっていて
密着して合わさらなかった

きみとは
さよならをすることなく
行き違った

僕はまたきみと
行きずりたいと願う
また行きずるだろうか
行きずらないだろうか
そうだ  いっそ正面衝突がいい
それならその場にもつれて倒れこみ
行きずれない
人目を気にしない勇気さえあれば
日記のように詩を書き、このブログに掲載しています。誰かに読んでもらおうというものではく、ほとんど自分のために書いていますが、偶然に通りかかった人が立ち寄ってくれ、常連のようになりつつある人もいて、それはそれで張り合いがあってうれしく、その少ない読者に感謝しています。しかし、「広報活動」をして、もっと多くの読者を獲得しようとは思っていません。少ないのがちょうどいいのです。


詩をかく楽しさとは別に、毎日は苦闘しています。また、詩を書くことが、その苦闘をより鮮明にしているとも思えます。冬の寒さが夕日のあたたかさを教えてくれるように、詩と日常は別の場所にあって、詩は苦闘のありかを照らしています。苦闘ははやく過ぎ去ればいいのですが。

2010年9月28日火曜日

白いタンクトップ

きみはぼくのすきなひと
白いタンクトップがよく似合う
飾り気のない美しい人
きみの横顔には
しゃれた街並みや緑の草原
曇った窓ガラス 雪の雑木林も
よく似合う
きみはいろんなものをほしがるけれど
ぼくは それらの代わりに
一本の枯れ枝を渡したい
枯れ枝はなんの役にも立たないけれど
きみの頬をふくらますのには十分だ
きみはぼくの誘いにもよくつきあって
軽やかについてくるけれど
きみが思っているのは
いつでもきみの優雅な日常のこと
きみをどこに解き放つかということ
ぼくはきみの部屋にある
きみの写真を思い出す
モノクロ写真のの森の中にいまもつるされているはだかのきみ
その周辺を 天女の布が舞い 漂っていて
きみは今にも放心しそうに こちらを見ている
ぼくは きみに 問いかける
きみはなにをゆめみているのか
きみは いつもわらうばかりで こたえない
きみは なにも ゆめみていない
ぼくは きみに 手紙をかこう
よまれることのない とどくこともない手紙
きみのゆめのなかで もやすといい

2010年9月27日月曜日

小峰に纏わりつくネコ

小峰とネコのことは想像するしかない

小峰が人前でネコといたところを
誰も見ていないから
第一 小峰にネコは似合わないと僕は思う

小峰はペットを飼うような感じではなく
孤立して淑やかで
生き物の毛を衣服につけている筈もなく
そんなに寂しがり屋でもない

それでも
小峰とネコのことを考えるのには訳がある
それは僕が小峰のことを考えるとき
最近は いつでも
ネコの気配を感じる
足もとにネコがいる!
このあいだは ネコがまとわりつき
小峰が もう~ とネコのことを払いのけるような声が聴こえた

ネコはどこからくるのか知らないが
妙に訳知りの様子で
程よく小峰に纏わりつくが
たまに度を越して追い払われる

その様子は
楽しそうで 悲しそうだ

僕はいつか
纏わりつくがネコに聞いてみたい
あんた 小峰の なんなのさ

2010年9月26日日曜日

夜の(ピンクゴールド)

えっ?
夜のしましま

いっ?
なかに入っちゃうの?

うっ?
がまんしなくてもいい

あっ?
あのときよりいい感じ

おっ?
どこまでもいくのだ

ねぇ
夜のしましま

しましま?
しましま。

新聞連載詩 未来 3

「心の当たりくじ」 マツザキヨシユキ

指で土を掘って 種を一粒落とす
間隔をあけて もうひとつ またひとつ
そしてすぐに 土をかぶせてしまう
種をまくときの気分はなぜか楽しい

これで きっと 芽が出て 花が咲く
どんな花が咲くのだろう
花が咲くころ 自分は何をやっているのだろう

花が咲いたら 写真を撮って うんと凝って撮って
あのこにメールで送ってみよう
あのこはなんて言うのかな

花が咲くころ いま石ころを投げつけたい
にっくきアイツは もう自分の前にはいないだろう
今 手元にある 宝くじは 100円玉2つになり
わたしは せっせと 働いているだろう


メッセージ☆
種というのは「未来カプセル」のようだと、どこかで誰かが言っていたような気がします。
人にとって、自分の「未来カプセル」って何なのでしょうか。
宝くじ、でしょうか?
いいえ、もちろんぼくは違うと思います。ではねなんでしょう。それは人さまざまだと思うのです。
僕にとっての「未来カプセル」は、毎日詩を書くこと、です。いつか花咲くといいなと思いながら書き続けています。

2010年9月25日土曜日

まっすぐ進む

いつかの夏の終り、道が終わってしまう光景を見た

眠っている小峰

小峰が眠っている
眠っている小峰は
どこか別の世界に 何かをしに行ってしまったようだ
ここにいない 小峰の 眠っている姿は
いつまでも見ていたいほど いい
小峰は寝息一つ立てずに静寂を保っていて
それは 最後の一葉をおとさないように という比喩がしっくりくるように思える
小峰を守るものは何もないが
世界中の善良な魂が みんなで小峰を守っているということが
なぜだか はっきりと判る
小峰は 薄く やわらかい色の 衣服をまとっているが
衣服の隙間から 肌を見せている
その肌は かすかに産毛が光っていて
赤ん坊の時と きっと ほとんど変わりがないのだ
小峰の閉じられた瞳は 美しく 小鹿のようなので
だから時折 小鹿がのぞきに来る
小峰は 2本の腕を持ち
手のひらは 5つに分かれている
その手のひらが いつだったか もみじを持って 写真におさまっていた
その光景は 紅葉と手のひらの境界を危うくするような事件だった

小峰は いつ 目覚めるのだろう
唇が 季節の風に 少し乾き
そのわずかな不快に 目を覚ますのだろうか
それとも どこからか飛んできた 綿毛の気配を感じて だろうか

こわれそうで やわらかい 小峰
父母から生まれ でも 誰のものでもない小峰は
いつか 自分を誰かに差し出すのだろうか
リボンを巻いた プレゼントと一緒に
瞳に笑みさえ 浮かべて

2010年9月24日金曜日

錆びたポスト

おいてけぼりにした錆びたポスト
あの家と一緒に
ドングリの木の傍らの
引き抜かれた門柱の奥
草花の咲く庭の向こう側
電信柱の間のへいの向こう側
小さな公園の隣
家路につく足跡が聴こえ
風に流されてきた線路の音が籠る場所
花火大会が屋根越しに見える
カレーの香りが漂い
剣道に出かける少年が飛び出す
落ち葉の中で焼き芋が作られる
その家

外壁に張り付いたポスト
古くて錆びたポスト

いまはもう どこにもないポスト