2014年2月9日日曜日

たきび

たきびのひがおおきくなって
やまかじになった

ひは のはらをやき
すぎのはやしをやき
きこりのこやをやき
からまつのもりをやき
おちばのこみちをやき
みちあんないのひょうしきをやき
やまのいえのブランコをやき

それでも きえずに
もえるものをさがしては
つぎからつぎへと
もえうつっていく

ひとは
バケツでみずをかけ
しょうぼうしゃがホースでみずをかけ
ヘリコプターがあわをかけても
おかまいなく
めらめらと
とりやけものをおいはらい
いえのなかにはいり
かぐやあるばむのしゃしんに
そのてをのばし
ひとのこころのなかにまで
はいりこみ
もやそうとする

おおきくなった ひは
もう
ちいいさな たきびだったことを
おぼえていないのか

わたしは おぼえている
ちいさいころに
ひをつけた
ちいさな たきび

ゆうやみにほほをまっかにてらしてた
うつくしいほのおと
てをつないでいたひ


*みちるです。たき火が好きだった。たき火を子分にしたかったけど、たき火は気まぐれな大人だった。でも子どもの心をどこかに持っていて、原子力と手を組んだ大人を冷めた目でみていた。

2014年2月8日土曜日

ゆきだるまつくろう

ゆきだるまができてく
ゆきのじめんをころがされて
おおききなってく

からだができたら
こんどはあたま
あたまをのっけて
かおをつくる

ねえちゃんは
へやで おけしょう

めだまはおおきく
はなたかく
ぼうしもかぶせて

ゆきだるまのほうが
いろじろびじん

ねえちゃん
まどから
じろじろみてる

ゆげはいて
ぽっぽーっ


*みちるです きょうは東京でも雪が積もりました。玄関でころびました。転んだのは久しぶり(おとなはめったに転ばないね)。大雪はもっと久しぶり。背の高さほどに積もった雪の中をかき分けて歩いたのは3歳の頃、なぜかよくおぼえています。

2014年2月7日金曜日

ほめられてばかりいるこ by みちる

ほめられてばかりいるこどもがいた
いつもおとなのいうことよくをきいて
あたまがよくおぎょうぎもよく
はきはきとへんじをして
べんきょうがすきで
おまけにえがおをふりまいた

ほめられてばかりいるこどもは
いちどもしかられたことがない
わるいことをしないし
ふざけたりいじわるしたり
ひとまえでおならをすることも
けんかすることだってなかった

ほめられてばかりいるこどものゆめは
しょうらいしゃちょうかおいしゃさんになること
しごとをいっぱいして
よのためひとのためになり
けっこんをしたらかぞくのために
いっぱいおかねをかせぎたかった

ほめられてばかりいるこは
ほめられてばかりいて
それがあたりまえになっていた
あるひ もう つかれた と
いいのこして
つぎのひにしんじゃった

おそうしきには
たくさんのひとがあつまって
おんおんないた
くもひとつない
あおぞらが ちいさなおかんのうえに
ひろがっていた




みちるです。よろしくおねがいいたします。
マツザキヨシユキさんからこの場を引き継ぎました。
2010年から書かれた毎日の詩は、引き続き見ることができます。

みちるとしては、この場を、詩が流れる天の川のようにイメージして、詩を書いていきたいと思います。
一つ一つの詩の力は小さいし、読まれなければ意味がないかもしれませんが。でも、天の川自体には意味がありませんよね。でも、美しい。そして一つ一つの星に思いを重ねることができる。そんな感じが素敵! だとおもって。

2014年2月4日火曜日

みちるが詩を掲載

2月7日より、マツザキヨシユキに替わりみちるが詩を掲載します。どうぞよろしくおねがいします。マツザキヨシユキ
2014年2月4日

2014年2月2日日曜日

ごあいさつ

今から3年5か月前の、2010年8月30日、
この場で
日記のように詩を書きはじめました。
詩を書いて、こうして人前に出すのは2007年にやめて以来、初めてのことでした。

最初はほぼ自分のために書いていましたが、途中から

読んでくれている人のために書こうと意識しました。
しかし、なかなか、人のために書くというようにはなりませんでした。

途中、2011年9月1日から12月31日まで、人生をリセットし、学生時代からやりなおそうと北京に留学し、片言の中国語を話し大学生たちと暮らしながら、詩を書きました。このときは、東京でのいろんな経験や思いを断ち切るために書きました。


2012年、東京に戻り新しい生活を始めるために、中野区から杉並区に引っ越し、仕事も一から始めることにしました。(・・が、なかなかうまくゆかず、2013年2月に、やっとポエムピース株式会社という会社を立ち上げるにいたりました。)


2012年6月から13年秋にかけて、福島から送られてくる花の写真に、毎日詩を付けるという「日課」が加わりました。(これは1年数か月つづきました。)その結果は「ここは花の島」という本として出版され、合唱曲や歌も生まれました。


しかし私が共に生きてきた「マツザキヨシユキ」という名前は、くたびれて、病んでしまいました。このままいけば、一緒に活動する人にも迷惑でしょう。悩みに悩んだ末、私はこの名前に隠居して療養してもらうことにしたのです。

いつまで休んでもらうか、それとももう二度と前線にはたたないことになるか、私にも分かりません。

このページはいつしか、楽しみに読んでくださる方も増えていましたから、ほんとうにお別れは惜しいのですが、この名前を休ませてやるという「わがまま」を、どうかお許しいただきたいのです。


その代わりと言ってはなんですが、新たな詩人「みちる」にバトンタッチしたいとおもいます。これからは、みちるの詩をお楽しみいただければ、うれしいのですが。もしよろしければ、ひきつづき、みちるをよろしくおねがいいたします。(みちるは私とも価値観が相通じる人間です)


それから、愛着あるこの「未来創作」ですが、マツザキヨシユキ隠居後には、引っ越し先が準備でき次第、引っ越す、というのがみちるのためでもあるとおもっています。どうぞよろしくおねがいします。では最後に・・・


「長いあいだ、読んでくださりありがとうございました。詩を味方につけて、幸せな人生を送っていただくことが、私の望みです。またいつかおあいしましょう!(マツザキヨシユキ)」



2014年2月2日


2月7日より、マツザキヨシユキに替わりみちるが詩を掲載します。どうぞよろしくおねがいします。マツザキヨシユキ
2014年2月4日



2014年2月1日土曜日

いじめられているこ

いじめられているこがいます
わたしはとおくからみています
わたしも まえは
いじめられていたことがあります

しょうらい もしかしたら
わたしはだれかを
いじめてしまうかもしれません
だれかに また
いじめられるかもしれません

いじめられているこは
たえています
たえながら なにをかんがえているのか
わたしにはわかりません

ふくしゅうしたいと
かんがえているかもしれません
わたしも
そうかんがえていたことがあります

いじめているこは
なぜ いじめているのでしょうか
ほかにすることがないのでしょうか

わるいことをしなくても
いじめられます
わなにはめられて
わるものにされることもあります
でも
しらずにわるいことを
してしまうことのほうが
おおいかもしれません

いいことをしても
ほめてもらえず
わるいことをしていなくても
いじめられてしまうことがあります

いじめは
ながいじかん
つづくことがあります

いきているじかんよりもながく
ひとりのにんげんには
うけきれないほど
ほしぞらのようにはてしなく
いじめつづけられることがあります

それを
うちゅうのあいは
つつみこんでくれるでしょうか
かみさまは
たすけてくれるでしょうか

こたえをしりたいけれど
こたえてくれるひとは
あうことができないほど
とおくにいる と
あなたのなみだが
あのとき
おしえてくれました

2014年1月31日金曜日

参加

思い切り力を込めて
黄色い風船を
空に打ち上げようとするのだが
風船は
上がっていかない

なにをしても
うまくいかない私

遠くで
住んでいた家も倒壊する

近くで
愛していた女も発狂する


静かにしていると
動いているものが見えてくるが
動いているもの同士は
連絡を取っているのだろうか

目を閉じて
闇の中に
浮き上がったギモンの答えを見つけようとするが
脳の周りに白い泡が纏わりついて
つい
その蠢く泡に見入ってしまう

胎内で丸まっていたときから
私がしようとしていたことが
いつかきっと明らかになる

風船は空気を内包して
空気の中で浮き沈みする
泡ははじけて会話する
私は耳の奥で「それ」を聴くことで
会話に参加しようとする



2014年1月30日木曜日

あなたは首を横に振る

あなたは首を横に振る
私の方を向いたとき
目が合う

でもまたすぐに眼をそらして
素知らぬフリ

私はため息を一つ漏らす
あなたは
私たちのいる部屋の空気を
かき回して
私に風を送る

押し入れの中に
しまっちゃうぞ
また次の夏が来るまで

2014年1月29日水曜日

じぶんは ひとり

ともだちは
じぶんではありません

じぶんのなかに
ともだちが
いるようなきがしても
ともだちはじぶんではありません

ともだちのゆめをみても
ともだちのきもちがわかっても
ともだちとじぶんが
くっついてうでずもうしていても
ともだちとじぶんは
わかれている
べつべつのにんげんです

もし
ともだちと じぶんのからだが
いれかわって
こころが
そのことにきがつかなくても
じぶんはじぶんだけ
ひとりです

じぶんがひとりであることは
すてきなことです

ふたりがともだちであるのと
おなじくらい
すてきなことです

2014年1月28日火曜日

チョコレートを買いに

雪の日に
女のひとに手を引かれて
田舎道を
チョコレートを買いにいった
古い木枠の硝子の引き戸をあけて
店の中に入った

ストーブの灯が燃えている
薄暗い店内の平台に
赤い包みのチョコレートを見つけた

その包みの中に薄い銀紙に包まれた
チョコレートが入っていて
分け合って
指をなめなめ食べるのだ

そして雪の降る薄暗い道を
女のひとと一緒に
帰っていった

あの女のひとは
母だったのだろうか
あの田舎道は
いまもあるのだろうか

ドラッグストアの店頭で

安売りされているチョコレートに訊いてみたが
もちろん答えてくれない

母に訊いてみようか
いや
訊かない方がいいだろう

甘い謎は
そのまま取っておいたほうがいいに決まっているから







絵 中村ゆき子