未来創作
みちるのブログ
2014年2月4日火曜日
みちるが詩を掲載
2月7日より、マツザキヨシユキに替わりみちるが詩を掲載します。どうぞよろしくおねがいします。マツザキヨシユキ
2014年2月4日
2014年2月2日日曜日
ごあいさつ
今から3年5か月前の、2010年8月30日、
この場で
日記のように詩を書きはじめました。
詩を書いて、こうして人前に出すのは2007年にやめて以来、初めてのことでした。
最初はほぼ自分のために書いていましたが、途中から
読んでくれている人のために書こうと意識しました。
しかし、なかなか、人のために書くというようにはなりませんでした。
途中、2011年9月1日から12月31日まで、人生をリセットし、学生時代からやりなおそうと北京に留学し、片言の中国語を話し大学生たちと暮らしながら、詩を書きました。このときは、東京でのいろんな経験や思いを断ち切るために書きました。
2012年、東京に戻り新しい生活を始めるために、中野区から杉並区に引っ越し、仕事も一から始めることにしました。(・・が、なかなかうまくゆかず、2013年2月に、やっとポエムピース株式会社という会社を立ち上げるにいたりました。)
2012年6月から13年秋にかけて、福島から送られてくる花の写真に、毎日詩を付けるという「日課」が加わりました。(これは1年数か月つづきました。)その結果は「ここは花の島」という本として出版され、合唱曲や歌も生まれました。
しかし私が共に生きてきた「マツザキヨシユキ」という名前は、くたびれて、病んでしまいました。このままいけば、一緒に活動する人にも迷惑でしょう。悩みに悩んだ末、私はこの名前に隠居して療養してもらうことにしたのです。
いつまで休んでもらうか、それとももう二度と前線にはたたないことになるか、私にも分かりません。
このページはいつしか、楽しみに読んでくださる方も増えていましたから、ほんとうにお別れは惜しいのですが、この名前を休ませてやるという「わがまま」を、どうかお許しいただきたいのです。
その代わりと言ってはなんですが、新たな詩人「みちる」にバトンタッチしたいとおもいます。これからは、みちるの詩をお楽しみいただければ、うれしいのですが。もしよろしければ、ひきつづき、みちるをよろしくおねがいいたします。(みちるは私とも価値観が相通じる人間です)
それから、愛着あるこの「未来創作」ですが、マツザキヨシユキ隠居後には、引っ越し先が準備でき次第、引っ越す、というのがみちるのためでもあるとおもっています。どうぞよろしくおねがいします。では最後に・・・
「長いあいだ、読んでくださりありがとうございました。詩を味方につけて、幸せな人生を送っていただくことが、私の望みです。またいつかおあいしましょう!(マツザキヨシユキ)」
2014年2月2日
2月7日より、マツザキヨシユキに替わりみちるが詩を掲載します。どうぞよろしくおねがいします。マツザキヨシユキ
2014年2月4日
2014年2月1日土曜日
いじめられているこ
いじめられているこがいます
わたしはとおくからみています
わたしも まえは
いじめられていたことがあります
しょうらい もしかしたら
わたしはだれかを
いじめてしまうかもしれません
だれかに また
いじめられるかもしれません
いじめられているこは
たえています
たえながら なにをかんがえているのか
わたしにはわかりません
ふくしゅうしたいと
かんがえているかもしれません
わたしも
そうかんがえていたことがあります
いじめているこは
なぜ いじめているのでしょうか
ほかにすることがないのでしょうか
わるいことをしなくても
いじめられます
わなにはめられて
わるものにされることもあります
でも
しらずにわるいことを
してしまうことのほうが
おおいかもしれません
いいことをしても
ほめてもらえず
わるいことをしていなくても
いじめられてしまうことがあります
いじめは
ながいじかん
つづくことがあります
いきているじかんよりもながく
ひとりのにんげんには
うけきれないほど
ほしぞらのようにはてしなく
いじめつづけられることがあります
それを
うちゅうのあいは
つつみこんでくれるでしょうか
かみさまは
たすけてくれるでしょうか
こたえをしりたいけれど
こたえてくれるひとは
あうことができないほど
とおくにいる と
あなたのなみだが
あのとき
おしえてくれました
2014年1月31日金曜日
参加
思い切り力を込めて
黄色い風船を
空に打ち上げようとするのだが
風船は
上がっていかない
なにをしても
うまくいかない私
遠くで
住んでいた家も倒壊する
近くで
愛していた女も発狂する
静かにしていると
動いているものが見えてくるが
動いているもの同士は
連絡を取っているのだろうか
目を閉じて
闇の中に
浮き上がったギモンの答えを見つけようとするが
脳の周りに白い泡が纏わりついて
つい
その蠢く泡に見入ってしまう
胎内で丸まっていたときから
私がしようとしていたことが
いつかきっと明らかになる
風船は空気を内包して
空気の中で浮き沈みする
泡ははじけて会話する
私は耳の奥で「それ」を聴くことで
会話に参加しようとする
2014年1月30日木曜日
あなたは首を横に振る
あなたは首を横に振る
私の方を向いたとき
目が合う
でもまたすぐに眼をそらして
素知らぬフリ
私はため息を一つ漏らす
あなたは
私たちのいる部屋の空気を
かき回して
私に風を送る
押し入れの中に
しまっちゃうぞ
また次の夏が来るまで
2014年1月29日水曜日
じぶんは ひとり
ともだちは
じぶんではありません
じぶんのなかに
ともだちが
いるようなきがしても
ともだちはじぶんではありません
ともだちのゆめをみても
ともだちのきもちがわかっても
ともだちとじぶんが
くっついてうでずもうしていても
ともだちとじぶんは
わかれている
べつべつのにんげんです
もし
ともだちと じぶんのからだが
いれかわって
こころが
そのことにきがつかなくても
じぶんはじぶんだけ
ひとりです
じぶんがひとりであることは
すてきなことです
ふたりがともだちであるのと
おなじくらい
すてきなことです
2014年1月28日火曜日
チョコレートを買いに
雪の日に
女のひとに手を引かれて
田舎道を
チョコレートを買いにいった
古い木枠の硝子の引き戸をあけて
店の中に入った
ストーブの灯が燃えている
薄暗い店内の平台に
赤い包みのチョコレートを見つけた
その包みの中に薄い銀紙に包まれた
チョコレートが入っていて
分け合って
指をなめなめ食べるのだ
そして雪の降る薄暗い道を
女のひとと一緒に
帰っていった
あの女のひとは
母だったのだろうか
あの田舎道は
いまもあるのだろうか
ドラッグストアの店頭で
安売りされているチョコレートに
訊いてみたが
もちろん答えてくれない
母に訊いてみようか
いや
訊かない方がいいだろう
甘い謎は
そのまま取っておいたほうがいいに決まっているから
絵 中村ゆき子
2014年1月27日月曜日
小さなとりが
ぼくはだまっているのに
小さなとりが
ずっとなにかをはなしている
ぼくは心のなかで
ひとりごとをいっている・・・ことに
いま気がついた
だまってぼくはひとりごとをいっているのに
小さなとりは
声をだしてはなしている
ぼくは小さな声をだして
いってみた
ーーだれにはなしてるの?
なにをはなしてるの?
小さなとりはぼくを見て
くびをかしげた
でもまた
そっぼをむいて
なにかをはなしはじめた
ぼくはまつげをパタパタさせた
小さなとりはいきおいよく
空へと とびたった
2014年1月26日日曜日
ぼくの せんそう
せんそうがやってきた
うかれたひとはいなくなった
まちじゅうに
なんみんがあふれた
しんだひとは
だれかがつちにうめる
おおきなふろおけが
といれのかわり
こうみんかんは
なんみんのすみか
ぐんたいは
がいこくにでかけて
まもってくれないから
てきがやってくれば
ていこうせず
ころされるかもしれない
やきゅうじょうのフェンスのうらに
ひとがたむろしているのは
せめてくるものから
かくれたいからだ
まだ
そらからばくだんはふってきていない
ラジオもテレビもほうそうをやめたので
がいこくのほうそうを
きくしかない
よるはでんとうがともらないせいで
ほしがきれいだ
エアコンもとまっている
いろんなにおいがまざっている
ちょうへいされたひとも
いるという
ぼくはふつかのあいだ
なにもたべてない
もうそのことさえわすれそうだ
こっかはなくなってしまったようだ
みんなしょくばほうきして にげたのだ
ひとびとは
ただいきのびるだけのじょうたいとなっている
しをかいたり
うたをうたをうたっているひともいない
あんなに はやっていた
スマホさえ
もうするひとを どこにもみることができない
ふろおけに
ちんぽをむけて
ちからをこめると
なんと おしっこは
いきおいよく
むこうのふちあたってしぶきをあげた
そういえば
ふつかぶりの
しょんべんだった
2014年1月25日土曜日
なまえ
ぼくはきょうからぼくでなくなる
だから
ぼくの おなまえさん
さらばだ さようなら!
おなまえさん
おもえばいつも
きみを やおもてにたててきた
いつからか
ぼくはきみのかげにかくれて
そのぶんへいおんに
すごしてきた
だがきみは
もんくひとついわず
ぼくをまもってくれた
きずついて あざだらけになり
ふくはやぶけ
くつも かたほうしかのこっていないのに
そこでぼくは けついして
きみをへやのなかにいれ やすませることにした
もういんきょしてもいい
というきもちだ
とはいっても
ネットはつながるし
メールやFaceTimeだってできるから
きみにふじゆうはないだろう
おなまえさん
どうかゆっくり ほねやすめして
ぼくをみまもっていてほしい
こんどは ぼくじしんが
やおもてにたって
じぶんじしんで
せいぎのために たたかうから
せいぎはかっこいいもんんじゃない って
だれかいってたな
かっこわるいのは
ぼくのもちあじだ
そして
ぼくはしぬとき
いちばんきれいな
ほしをおもおう
とほうもなくとおくにあるそのほしは
なまえもないが
うちゅうのどこかでかぼそくひかっている
だれかにみられているか なんてことは
もちろん きにせずに
いまぼくにはみえていない
その ほし
きみにも
みえないかもしれない
なまえのない ほし
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