2011年11月30日水曜日

忘れられた人は


忘れられた人は

缶詰を開ける音に反応して

こっそり

出てくる



あなたが

缶詰を開けたとき

忘れられた人は

あの人の前に立ち

手招きをする



もちろん

誰かが缶詰を開けるたび

別の誰かの前に

忘れられた人はこっそり

立っている



そんなことが

よくあるのだが

気がつく人は少ない



忘れられた人は

苦難をものともせず

隙をうかがっている



何かの拍子で思い出されたとき

忘れられた人は姿を消す



この

忘れられた人の寿命や

生活は様々だが

まだあまり研究されたことがない



私が去年から研究を始めたが

ほかにしている人を知らない

私は

いま忘れられた人のそばにいる

2011年11月29日火曜日

それが どうしたのですか?


毎日が過ぎていきますか


あなたの目の前を


あなたは気づかないようにしているのですか


去って行くものが


あなたに語りきれなかったことを


 


小川が流れていますね


もうすぐ氷が張るでしょう


氷の下を


水が流れるでしょう


氷の上に枯れ葉が積もり


そこを小さなネズミが


渡っていくでしょう


 


月は出ていますか


ほかの星より特別ですね


あなたは特別ですか


あなたにとって


誰かにとって


 


目覚まし時計は掛けて眠りますか


目覚まし時計のことを


忘れて眠れますか


2011年11月28日月曜日

飛んできたボール


飛んできたボール


捕ろうとしたけれど


捕りそこなって


顔面に当たった


 


鈍い音がして


頭の中が釣り鐘のように響いて


重たい痛みが沸きあがってくるのを


おさえられないことは知っている


 


心臓の鼓動に合わせて


痛みが波打ち


地面に倒れて


もだえているところだ


 


駆け寄ってくるのは「仲間」と


近くにいた人だ


間近まで来て様子をのぞき込んで


対処方法を考える


 


ゲームは暗黙のうちに


緊急停止している


 


銀杏の木のところで


いきなり鋭い木漏れ日に当てられた私は


その日のことを思い出した


 


あれからどうしたのだろう


冬の日の公園を歩きながら


私にはつながりが分からなかった


 


ただ


あれは今も私にぶつかってくるあれは


ボールではなく


詩ではないのか


 


それは


確からしいことだった


2011年11月27日日曜日

絶望色に染まるとき


愛する人に愛されないのは仕方ないとしても


嫌いな人に嫌われるのも まあ仕方ないとしても


あなたに嫌われるのは やるせない


そんなとき


私は絶望色に染まる


たぶん多くの人が染まったと同じように染まるのだ


 


染まっても染まっても


そのままであることにまだ満足できずに


さらに新しい絶望色に


染まるのだ


 


暮れ方


絶望色は冬の夜空のように


寒さを引き寄せようとしている


だが


絶望色に染められた体は


熱を逃がすことができずに


うずいている


 


針の穴ほどの希望が差したとき


勢いよく


飛び立つのだ

 

線香花火がはじけたのを


あなたは何度見たことがあるだろうか


 


それが


宇宙規模でいくつも起こるのだ


あなたは耳をふさいで


今までのことをすべて投げ出して


新しい時間を迎えるだろう


2011年11月26日土曜日

なになに を しているあいだに


なになに を しているあいだに

なになに を しおえてしまった

 

先生が

構文の説明を始めた

 

かのじょが なになにをしているあいだに

かれは なになにをしおえてしまった

 

私は 

胸騒ぎが抑えられない

 

彼は

大丈夫なのだろうか

彼女は

このことを知っているのだろうか

 

かれが なになにをしおえたとき

かのじょはまだ なになにをしていた

 

先生は

別の言い方で繰り返す

 

なになに に

言葉を挿入するのだという

 

私は 言葉がうまく挿入できない

先生はかまわず

どんどん先へと進んでいく

 

じんせいは ひまつぶしのようなものだ と

かのじょはしんじていた

 

先生は次の構文の説明に入る

私はまだ前の構文に縛られている

 

それに

私はそう思いたくなくて

世界中に飛んでいったのだ

 

そこには確かな目的が有るはずだと

用事を拵えては出かけていったのだ

 

じんせいは はひまつぶしのようなものだ と

かのじょはしんじていた

 

先生は繰り返すが

信じることは暇つぶしの条件なのか

 

そこに何が有るというのだろう

 

廊下で鐘が鳴った

そして

教室から私たちは出て行った

 

そこに何が有るというのだろう

そこに何が無かったというのだろう

*
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2011年11月25日金曜日

三階建のバス

三階建のバスに乗っていると
橋をくぐる時に怖い
本当は四階建だけど
四階はほとんど棺桶状の仮眠スペースなので
慎ましくも三階建と自称しているのだ

リゾート地のホテルから幹線の駅までを走るが
市街地に入ると
その巨きさはひときわ眼を惹くから
やがて人々は箱舟バスと
ヘンテコな呼び名を与えた

その三階に秘書と同乗しているわけだが
もちろん昨夜は
一緒のベッドで一夜を過ごした

持って行った小さなカバンは
イタリアの空港で
衝動買いしたものだったが
朝 シャワーを浴びている隙に
秘書がゴミとして捨ててしまった

駅に着くと
さすがは一流のリゾートの駅という感じで
洒落た店が立ち並び
静かに賑わっていた
中には訳ありの旅行者もいるのだろう

私たちはマクドナルドに入り
コーヒーとアッブルパイを分け合って食べた

きょうはこの後
仕事があるのだ
三階建のバスが
そろそろ新しい客を
乗せ始めるころだ

そういえば
四階に乗っていた人は
どうしたのだろう
乗る時も
降りる時も
顔を合わさなかった
ただ気配だけが
頭上で蠢いていた

捨てられたカバンにしまっておいた
人には見せられない大切なもののことが
気になり出していた
カバンと一緒に
砕かれ
燃え尽きただろうか

三階建バスは
確かに
私たちを降ろしただろうか

2011年11月24日木曜日

静かな夜に


静かな夜に


してはならないこと


 


静かな夜に


してみたいこと


 


してはならない恋を


してはならない人と


 


してはならないように


してみたいなと


2011年11月23日水曜日

見ている


誰かが見ている


誰だか


分からないけど


ずっと見ている


 


なぜ見ているのかは


分からないけど


 


見ているあなたに


気づいてから


わたしは


あなたを見ている


 


あなたは


やっぱり誰かを見ている


2011年11月22日火曜日

中国の自転車

僕の中国の自転車は
ないんだ
僕の日本の
自転車はいま
日本に在るんだ
日本の自転車は
日本から乗ってこられなかったんだ
だから
日本の僕の
自転車は今ないんだ
中国の自転車はないんだ
日本に在るのは
乗ってこられなかった僕の
日本の自転車なんだ

自転車が歩く僕を
追い越していくけど
僕の
自転車ではないんだ
僕は道を歩いている
それは部屋に僕は帰りたいからだけど
知らないうちに遠回りをしてしまうんだ
自転車をさっきから僕は
思い出して
中国にないから
海を渡って乗ってくるのを想像して
僕はいるんだ
僕の自転車は
中国にはないから
日本に在る自転車は
日本においてきた
つかわれていない僕の
自転車なんだ

2011年11月21日月曜日

社長入門 -1-

どこの世界にも
例外はつき物だが
ここではそれを無視して
語り始めよう

社長は職業ではなく
性格である
だから目標でもなければ
結果でもない

社長の性格を持っているものが
社長になるだけだ

社長は一つの生き方だという人がいる
だが
一つの生き方として社長があるのであって
(社長でない者が)
いろいろな生き方の中から選択して
社長になるのではない

社長はハナから社長であり
社長以外の何者でもない
いってみれば
社長は純粋な生き物なのだ
社長は社長であることから逃れることができない
また社長でないものは
社長が形成する世界(宇宙もしくは小宇宙といつてもいい)の中心に
位置することは最後までできない
かなしいかな
そこに感情や夢や希望を差し挟む余地はない

さて
ここでは
世界に数多いる社長の中から
一人の社長を選択し
その社長に関してさまざまな事象を
検討してみたい
その社長は
社長族(ここでは、以下そう呼ぶことにする)の
中心に位置するわけではない
もっとも
すべての社長は多かれ少なかれ
多次元世界を形成しているので
その中心は求めることはできないが
文明社会(ことに自由主義経済社会)における
社長研究の初心者 乃至 一般市民にとっての
平準的な社長像を中心とするならば
異端 若しくは異境に在る ということができる
統計学を用いてさまざまな指標に照らしても
その主だったマークポイントはその事象を示している

なぜ
平準的な社長を取り上げないか については
追って示す(暗示も含む)こととするが
社長Σ(ここで取り上げる社長をそう呼ぶことにする)について
考察を進めていくと
そこに世界のあらゆる社長の謎を解く鍵ともいうべき
ある普遍的な事実に行き当たることに気づくだろう
すなわち
社長は職業ではなく性格であるという命題
そしてまたその周辺に
この命題を支えるべく
いくつかの柱が存在するということに

私感を述べれば
これは実に驚くべき風景である
今まで常識として扱われてきたものは
たちまち風化してしまうだろう

さあ
社長Σへの扉は開かれた
あなたは入る勇気が在るだろうか
社長族の世界に

私がご案内するとしよう
最後までお付き合いを願いたい
社長であるあなたも
社長でないあなたも