2011年10月21日金曜日
ただ愛してはいた
ただ愛してはいた
そのひとに幸せになってほしいなんて思わない
ただ愛してはいた
そのひとと暮らしたいとは思わなかった
ただ愛してはいた
そのひとはほかの人と暮らしていた
ただ愛してはいた
そのひとは私をなじった
ただ愛してはいた
そのひとは時々発狂した
ただ愛してはいた
そのひとはときどき変な顔を見せた
ただ愛していた
そのひとはどこかに行ってしまった
ただ愛してはいた
そのひとは突然姿を見せたが挨拶もしなかった
ただ愛してはいた
そのひとは私を愛してはいなかった
ただ私は愛してはいた
2011年10月20日木曜日
なぜだかは わからないけど
きっと私のことを
思ってくれている
私が思う分だけ
きっとあの人は
私のことを
思ってくれている
なぜだかは
わからないけど
私は
信じることができる
なぜだかは
わからないけど
私はあの人を
愛している
近況など
私は、いま北京大学に留学生として来ていて、学校の宿舎に住んでいます。リビングとシャワー・トイレは三人共用ですが、寝室兼デスクの在るパーソナルスペースがあり鍵を掛けられます。
毎日、約四時間の授業に出席し、そのために約4時間の予習復習をしています。留学生はいろんな国の、いろんな年齢の人がいて、一緒の教室で勉強しています。15人ほどのクラスで、いい感じの人がそろっています。日本人も一緒になることがありますが、しゃべらないようにしているので、日本語はまったく使うことがありません。
北京大学はとても広くて美しいキャンパスですが、たまにスモッグに包まれます。そんな日は喉が痛くなる前に、部屋に帰って喉用のスプレーをひと噴きしてなるべく外に出ません。昔から喉が弱く、すぐ風邪をひきましたが、いまは、対処法がいろいろ見つかったので、風邪をひかなくなりました。
来週はアイスランド、日本からも詩人が来て、中国の詩人たちと一緒に、北京大学で詩の研究会があります。私も参加することになりました。
詩の勉強をすることや、その同志たちと何かができることはとても幸せです。
中国に来る詩人の一人に覚和歌子さんがいらっしゃいますが、先日、横浜のオブラートのイベントでご一緒しました。中国で再会できるなんて、素敵なことです。
中国に来た目的の一番は、中国の詩人たちと交流することにあります。友人の詩人、田原さんのおかげで、早い機会に中国の詩人たちと再会出来ることとは、ありがたいことです。
2011年10月19日水曜日
私の消しゴム
こんなに長い間
大事につかったことは
いままで
なかった
見慣れない文字を消し
かなわない絵空事を消し
空に浮かぶ雲を消し
書き損じた作文を消した
紙の上の世界が吸い込まれ
消しゴムのかすが取り払われると
新しい道のように
まぶしい光が反射していた
消しゴムを手に
私はきょうも
出かける
どこかに
行くために
帰る場所を
見つける旅を
思い描きながら
2011年10月18日火曜日
自分の胸に
私が眠るのを見に来た
悪魔に見られながら眠るなど
いままで
考えたこともなかった
悪魔は
本棚の隙間に隠れて
旧い詩集のように
私を見ている
私が悪魔を見ようとすると
悪魔はすかさず目をそらすので
恋人同士のように
親密にはなることはできない
悪魔は私が寝入ったあと
何をしているのだろう
訊いてみたい衝動に駆られるが
目を覚ましたとき
いつもそこに悪魔はいない
どこにいってしまうのか
自分の胸に
訊いてみよるとしよう
2011年10月17日月曜日
あなたの唇は濡れている
花の香りに包まれる
どんな花が香っているのか
目を閉じて想像しながら
月の明るい海に漕ぎ出す
近くで波音はするが
海は静まっている
小さな船は
めまいを起こしそうな揺れを続けるが
あなたと私はしっかりと結び合って
酔うことも受け付けない
たしかなお互いの感覚を
確かめるだけだ
遠いような近いような
未来のような
懐かしい景色の中にいるような
今までにない想いが
とどまって波打つ
あなたは
揺れが収まるタイミングで
小さく声を漏らし
喉の奥に仕舞い込む
私たちは目を開けているのか
瞑っているのかも分からないまま
どこかへ進もうとしているが
同じ場所を行ったりきたりするばかりだ
あなたはずっと
私の腕に長い指を巻きつけてつかまったまま
疲れることも知らないようだ
どこかで
鳥が飛び立ったような気がして振り向くと
それは
あなたの胸から
たったいま飛び立った
透明な鳥だった
月の光の反射で
その輪郭だけが
空に上っていった
2011年10月16日日曜日
あなたは濡れていないだろう
この雨の夜の中でも
あなたは雨を除け
濡れていないだろう
あなたはすでに濡れていたから
濡れるべきところは
濡れているたら
もうこれ以上濡れることはなかったのだろう
あなたは
乾いた笑いに湿り気をなじませて
絡み合う手をしっとりと結び
濡れた瞳で見つめているだろう
だから
あなたは
この雨に
濡れていないだろう
濡れている私をよそに
乾いていっているだろう
☆読んでくださっている方へ
ありがとうございます。
今、中国に来ていて、自分のブログを毎日見ることはできません。二週間に一度ぐらいは見られると思います。
ただしコメントが書き込まれた場合、コメントはすぐにメールで送信されてきますので、見ています。Pollyさん、匿名さん、メールで感想を送ってくださる方、ありがとうございます。
マツザキヨシユキ
2011年10月15日土曜日
そしたら雨が降ってきた
下を向いて歩いていた
そしたら雨が降ってきた
あなたのあなただけにしかないものを
その素敵さを思っていたら
いろんなことを忘れてしまい
そしたら雨が降ってきた
あなたと私は
うまく別れられたかな
私はそうは思っていない
あなたはあまり気にしていないだろう
最後は笑顔で手を振って
うれしい気持ちがあふれていたけど
それが最後だったのかな
そしたら雨が降ってきた
天気のことなど気にしていなかった
あなたのことを考えていたから
ほかのことはすっかり忘れて
街路樹や花壇が美しかったから
あなたのことを思っていた
そしたら雨が降ってきた
別れに涙は似合いすぎていて
私はなおさらかっこわるかっただろうから
笑顔で手を振る雰囲気で
じっさいとてもうれしくて
あなたもきっとうれしくて
それはとてもよかったな
あなたはその後どうしているの
私はなにかに弾かれたように
空を飛んで遠くの町にやってきた
時間は過ぎていったけれど
いまからまたあのつづきもできそうで
いろんなことが
ごちゃごちゃになって混じり合い
前後不覚
倒れこむ勢いで
足を出せば前に進む
乾いた石の歩道はさっきから
ずっと続いていた
目的地を目指して歩いているんだ
そしたら雨が降ってきた
雨は歩道を濡らしている
あなたは濡れていないだろう
愛しているといえなくなった日
曇り空を見ている
道を歩くと
自分の靴音が控えめな音を立てて鳴っていることに
心地よさを感じる
これは
さびしい
悲しみのリズムを刻んでいるのだろうか
小さな鳥は
私が見ていることに気づくと
首をかしげて何かを考えているようだったが
すぐに飛びたって
見えなくなってしまった
すべてのことがなかったかのように感じるのは
感傷的な心のせいだろうか
私が歩いていくと
木々や芝生の庭が
前方からやってきて
後方へと去っていく
見上げるられた
木は
角度の変化に合わせて
葉っぱが膨大な情報量の映像を浴びせかけてくる
しかしそれは
ひとときのことだ
銅像の向こうを回り
その古い建物の入り口から中に入り
学生たちの間をすり抜けて
教室に入ると
さまざまな国からやってきた
おそらくはさまざまな事情を変えた人々が
かたことの言葉や
流暢な母国語でしゃべっている
私は
日本で生まれ日本で育った
マツザキヨシユキという名前の人間だが
いまは
ソンチーイーシンだ
ソンチーイーシン
あなたは誰ですか
あなたはなにを
したいのですか