2012年5月8日火曜日

風が言っていました

風の身長を知っていますか

風の姿は見えないから
知らないと
お喋りすることはできません

風だって
ちゃんと目を見て話さないと
怒って吹き荒らし
言葉は風に舞うばかりだから

目の辺りを見つめて
ゆっくりと
わかりやすく話さなくてはなりません

もし
風とおしゃべりすることが出来れば
人はもっと幸せに近づくことができるでしょう


風が言っていました





2012年5月7日月曜日

自分の場所で

イチョウの木
立っている

自分の場所で
緑の葉をいっぱいに茂らせて

イチョウの木の横
通り過ぎて駅に向かう
行き交う人をよけながら

毎日
たくさんの人やモノを
よけている
けれど
自分がいる場所には
自分だけがいる

イチョウの木は
黙ったまま
葉をゆすり
いま笑ったのか
私を見下ろして

いや
笑ったのは自分の方

2012年5月6日日曜日

詩人リモコン

詩人くんをリモコンで飛ばすのはおもしろいですか。
飛ばすときは飛行機に乗せるのですね。
彼はどこにでも行かせられるのですね。
二足歩行もうまいし、喋りも達者ですね。
五感が備わっているばかりか、第六感も使えるのですか。
詩人くんは上りより下りのデータが太くなっているのですね。
A.I.も詩人レベルまで行っているのですか。
彼の取材能力はすごいものですね。
リモコンと関係なく動いているみたいです。

あなたは部屋に居ながらにして詩人くんを操作して
世間を渡り歩かせ、世界を見て、詩人をやっているのですね。
いいことを考えましたね。
いつからですか?
えっ、自然にそうなったって?
詩は、どちらが書いているのですか。たまには合作したりして……
詩人くんは文句を言いませんか。
あっ、別荘で休ませるのですか。ねぎらいの会を開いて。
そして、たまに入れ替わってみるのですね。

2012年5月5日土曜日

美しいものは

美しいものばかりを
見せてくれるあなた

美しいものばかりだと
落ち着かない私

美しくないものの中に
美しいものが見つけられるか

美しさにそっぽを向かれながら
美しくないものを見る
なんと美しいのだろう

2012年5月4日金曜日

なんどでも

饒舌に語れ
話したいことなどなくても
話すことがあなたの存在に価値を与え
私を納得させ
何かを冷やす

語るに落ちよ
繰り返す日々に句読点を打て
物語の結末だけ述べよ
あらゆる話にオチをつけよ
人にはレッテルを貼れ

動きを停めたものたちが
エネルギーを蓄え
正解者の頭上で弾けるのを待っている
だからクイズにして問え
答えのある森羅万象を
血へどを吐きながら
なんどでも

2012年5月3日木曜日

やくたたずの かれ

かれはなにももっていない
やくにたつものは
みんなひとにあげてしまった

やくにたたないものばかりをもっているかれは
やくたたずとよばれた

かれもまたじぶんをやくたたずとなのった
かれにみかたはいなかった
かれはやくたたずなうえに
あいきょうがなかったから
やさしさもおくびょうをかくすためだけにあったから

かれにはかみさまもいなかった
かみさまにしたねがいごとは
いつもたいていかなわなかったから

だがかれはぜつぼうということばをしらなかった
とおいむかししっていたようなきもするが
いまはまいにちがぜつぼうばかりだったから
そこがきじゅんでそれいじょうわるくならなかったから

かわりばえしないまいにちは
みかたによっては
しあわせにかんじられた

これがやくたたずのかれの
いまのじょうたいであるが
かれにあいたくなったら
かれのぶろぐをけんさくしてみるといい
そこにはかれのぷろふぃーるとともに
やくにたたない詩が
まいにちのせられているだろうから

2012年5月2日水曜日

意志の人

僕というのは愛称です。名前ではありません。
僕が精神病になると喜ぶ人がいるので、僕は精神病になりません。
僕が不幸になるといい気分になってお祝いをする人がいるので、僕は不幸にはなりません。
僕が再起不能になるとほっとして枕を高くして眠る悪党がいるので、僕は再起不能になりません。


僕は深夜に部屋で考えています。思っています。
僕はなぜすべきことをしないのかと。
しなくていいことばかりをして、すぐにすべきことをなぜ先送りにするのかと。
僕はしなくていいことをすぐに止め、「すべきこと」に取り掛からなくてはならないだろう。
だが僕が「すべきこと」を始めたとき、僕の主人は「すべきこと」になり、体はすべて乗っ取られるだろう。
その時いままでの僕はどこに行ってしまうのだろう。
それが怖いからなのか、それとも別に理由があるのか、その答えを僕はまだ知らない。求めるすべも分かっていない。


僕は際限なく食べ物を食べる。一日に何度も、深夜でも朝でも。
時間帯と回数は関係なく。食べたいものがあってもなくても。
食べることでお腹を満たし、自分の体が自分の重しになって動けなくなるまで食べ続ける。
そして動けなくなったところで、それを無理やり動かして行動をはじめる。
すると意志の力が感情を上回り、僕は意志の人となっていく。
意志の人となった僕はドアを開けて外に出ていく。風を切って歩く。


意志の人は帰宅するとき、その意志はなくなっている。
僕は意志の人ではなく、ただの愛称であるただの僕となっている。
手には買ってきた食べ物が入った袋を持っている。
袋の中にはよそよそしい商品が生々しい食べ物に変化して入っている。
この食べ物はもうすぐ僕のなかに蓄積され重しに変化する。
重しは僕が意志の人になるために必要だが、意志の人になる効用はまだわかっていない。

2012年5月1日火曜日

おまけとして言うと

きのう昼ドトールで200円のアイスコーヒーを飲んだ。夕方、560円のアイスコーヒーを飲んだ。そのあと、夜、120円のアイスコーヒーをコンビニのイートインのコーナーで飲んだ。きょうは、いま、340円のアイスコーヒーをのんでいる。190円のアイスコーヒーはサンマルクカフェ、200円のアイスコーヒーはドトールで飲むことができる。Macなら120円。一時期はチケットショップに25円から50円でMacのコーヒーチケットがあった。先週の関西出張では、ベローチェ、スターバックス、丸福、マエダ、上島、その他(名前は忘れたが)のカフェで、アイスコーヒーを飲んだ。日本の色々な地域、世界の都市(北京、ニューヨーク、ロンドン、ベネチア、ミュンヘン、トロムソ、パリ、オスロ、ボローニャ、フィレンツェ、バンクーバー、バンコク、台北、大連、グアム、サイパン、ハワイ、スロバキア、モスクワ、ミラノ)で、アイスコーヒーを飲んだ。アイスコーヒーと砂糖とミルク、ストローは仲良しだ。おまけとして言うと、アイスコーヒーは私とも仲良しだ。

2012年4月30日月曜日

夜眠る方法 の習作

たとえば目を瞑ると見えてくる森の中の一本の木は
高度な生命装置であると言ってよい
葉脈が張り巡らされているその様は
幼児の絵のようにいびつで自由奔放だが
きちんと葉は葉として生き永らえ
その与えられた役割を果たしたのちに
枯れて地面に落ち次の生命を育む要素となっていく

どこからどこまでが自分の生命と言えるのか
その疑問を差し挟む暇もなく
生き物たちは生きて死に
他者の生に命を混じえ響き合い歩をすすめる

一枚の葉と葉脈
今はただ母なる木の一部として
陽の光を受け風に湿気を発している
雨の日には雨粒を受け止め
風が吹けば身を翻してささやきを伝える

人である私は木の傍らを過ぎ去り
いつか木のことを頭の中に思い浮かべては
その美しさの訳をこねくり回す

木より粘土に近い私は
地面の近くで泥と一体となって
やや明るすぎる夜を眠る
体の中にある眼を見開くことはせず

2012年4月29日日曜日

心を容れる器をください

心を容れる器をくださいって言ったら
〈心が器でしょ。器を器に容れるの?〉
と言われてしまった。それでちょっと沈黙してしまったんだ。
彼女は器をくれる代わりに彼女が焼いたパンを出してくれた。そのパンの美味しいのなんのって。何もつけなくても、小麦と炎の香りがして、幸せな気分になってしまった。
そして彼女は唐突に音楽をかけた。心地よい音量で。左右のスピーカーから違う音が聴こえてきて、私はその場からどこかに飛んでいっでしまいそうになった。
私は、でもやはり、心を容れる器が欲しいと望んでいた。

私ごとでもいいから、器にいれて、タンスの上のほうにでも、しまってくれないか。