2014年2月25日火曜日

たべられちゃった

ぼく
たべられちゃった
かみくだれて
のどのおくにおちていった
ぬるぬのとんねるを
まっさかさまにおちていった

きのうのおやつ
かくさずに
たべておけばよかった
なおとがほしがってたしーる
あげちゃえばよかった

ぼく
もまれて
とかされてゆく
もう あしのゆびも みえない
めも みみも とけて
なくなっていく

きっと
えいようになって
からだのなかをながれていくうちに
のみこんだやつに
なってしまうのだろう

まあ
それもわるくないか
だが
このことばをしゃべっているぼくが
いったいどうなってしまうのか
それがもんだいだ

ああ
ぼくはいなくなったのに
にほんごのことばが
のこっている

だれか
たすけてくれ

2014年2月24日月曜日

包まれ上手な人が

包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人がなにかに包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人がふわふわの毛布に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が春巻きの皮に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が餃子の皮にも包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人がしっとりした愛に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人がきわどい愛にも包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が竹の皮に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が和柄の包装紙に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が朝日新聞に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が毎日新聞にも包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が金色の折り紙に包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が冷たい空気包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が淀んだ空気にも包まれました
包まれ上手な人が包まれました
包まれ上手な人が相変わらずまったりと包まれました
包まれ上手な人が包まれました
そして淋しく包まれたまま
箱に入れられ
去ってゆきました


*長いものには巻かれ、郷に入っては郷に従う。なんのギモンも感じずに、そうして行きてゆく人に、包まれないように、しましょうね! みちる

2014年2月23日日曜日

いじわるなきりん

いじわるなきりんは
とおせんぼ
ことりがとおる
そらのみち

いじわるなきりんは
のぞいてる
こいびとたちの
ひめごとを

いじわるなきりんは
みはってる
しゃっきんとりの
みかたして

いじわるなきりんは
ぬがせたい
チーターがきてる
にてるふく

2014年2月22日土曜日

ひとでなしのふうふ

あるむらに
ひとでなしのふうふがすんでいました
だけど
いつもにこにこわらっていたので
じぶんたちがひとでなしだとは
きづきませんでした

ひとでなしのふうふは
どんなものでもおかねでかえると
しんじていました
だけど
おかねでくろうしたことがあったので
じぶんたちがそうしんじているとは
きづきませんでした

ひとでなしのふうふは
ひとをうらぎってばかりいました
だけど
いっしょうけんめいしごとをしていたので
じぶんたちが
へいきでひとをうらぎっているとは
きづきませんでした

ひとでなしのふうふは
しあわせにくらしていました
そして
さいごにしんでおおきなおはかにはいりました
おはかのまえには
きらびやかなはながおひがんのたびに
かざられていました



*みちるです。人の因果応報は一代限りのものではないんじゃないかな。立派な親の子どもがバカ息子だったり。世代を超えて、つじつまが合っていく。怖いような、救われたような・・・

2014年2月21日金曜日

すてねこ

ひろいねこびとが
すてられねこをひろったが
ねこはひろわれてすぐ
またすてられた

すてられねこを
ひろいねこびとが
またひろったが
すぐにまた
すてねこした

だがまたすぐに
すてねこされたねこは
すてられねことして
ひろいねこびとにひろわれて
ひろわれねことなった

ひろいねこびとは
すてられねこをこよなくあいしていたが
すぐにすてねこして
すてられねこのきもちもわからなかったので
あいするひとには
ついにあいされなかった

2014年2月20日木曜日

たけやぶに  はいるべからず

「この たけやぶに
 はいるべからず」

たけやぶの
いりぐちにたてられているかんばんに
かいてあった

あのたけやぶにはいったことは
なかった

だが いまになって
たけやぶのなかから わたしを
さそいいれようとするものがある

たけやぶのなかに
いったい なにがあるというのだろう
はいったことがあるひとは
いないのだろうか

いたら きいてみたいものだ
あの
たけやぶのなかになにがあるのかを

そうしているうちに
ひがくれて
ゆうやみがわたしをつつんでいた

「わたしのなかに
 はいるべからず」

かんばんをたてて
わたしは
わたしをぬけだして
たけやぶのおくへ
あるいていくことにしよう

2014年2月19日水曜日

春の雨に濡れたい

母が
足が痛いといいながら
寒いキッチンで
麻婆春雨を作っている
私はそれを覗き込む

いつもは〈中辛〉らしいのだが
きょうは〈甘口〉だ
私が子供のころ
辛いものが食べられなかったせいだろうか
今は母も私も
辛いものが大好きなのに

出来上がった麻婆春雨が
私の前に盛られ
母は横から
箸でつついてくる

なんとなく
ぎこちない

春がきて
あたたかい春雨に濡れて
家まで駆けて帰った
遠くて近い
あの日々


*みちるです。あなたの母の思い出はなんですか。私はきょう起こったことを、思い出を見つめるような視線でみちゃいます。

2014年2月18日火曜日

くるみのきのしたに

くるみのきのしたに
きれいなびんを
うめました
それは
ゆめみていた
あのころ
ゆめやぶれる
よかんがおとずれた
つきのよる

くるみのきのしたを
ほりかえしては
いけません
そこには
なにもなかったと
わかるから
うめたときのきもちを
かきかえて
しまうから


*くるみの木の下は心地よい。暑い夏には涼しい日陰を、寒い冬には冷えた心を「くるみ」、あたためてくれるから。はい、こじつけですみません。みちる

2014年2月17日月曜日

すきとおるころもをまとって

よごれてしまったものを
おおいかくそうとして
ゆきがふっている

いつまでも
ゆきがゆきをつれてくるので
きりがなく
ふりつもっていく

だが
よごれてしまったものを
おおいかくそうとしているのは
ほんとうは
ひとのおもい

ゆきは
なにも
かんがえていないから

ただその
じゅんぱくのうつくしさで
けがれのないつめたさで
ちじょうにあるものを
おおいかくし
しずめていく

まちもしにたえたえのようだ
あたらしいいのちがはじまる
よかんをふうじられて

いつか
あおぞらから
そそがれる
たいようのひかりにほだされて
みれんをみずにながして
きえていくゆき

そのしたで
たえしのんでいたいのちたちは
ふたたび
うごきはじえる

ゆきからもらった
すきとおったころもを

まとって



*みちるです。雪に襲われて身動きができない人、どんなにか不安なことでしょう。助けたいと願う人はたくさんいても、実際に手をさしのべられる人は僅か。時の権力者の多くは自らの保身があいかわらずの一大関心事。人の命も最優先にはならない。市民・住民は為政者の悪行にいつも責任を取らされる。雪は神様からの「問い」のように降ってきます。その「問い」を受けとった人は、きっといつのまにか「すきとおったころも」をまっとている。このころもは、いいころもだよ!

2014年2月16日日曜日

全員集合

1

雪降る夜に
餅食った

餅つきの昼
雪降った

それでおいらは
こんがらがって

餅つきせずに
雪食った

2

ファミレスすきさ
ファミリーレスさ
ひとりぼっちは
さびしくないさ
かってきままに
ファミレス暮らし
ひとりじめだよ
全員集合


*我が国の都会にはファミレスが少ない。ファミレスは孤独な人のパラダイスである。
狂った世の中を見詰められる深夜のラジオのようである。みちる